7.アニメ「忘却バッテリー」に期待/「スナックバス江」とアニメの現状/ネット文化への判決/嫌われることと正しさを貫くことと個人の幸福など(04/11 05:54)


< ページ移動: 1 2 >

これは「萌え絵問題の最前線」みたいなところにも当てはまるのだけど、フェミニスト方面からの批判・球団は最初は露出が多いのは問題だと言うことだったのだが次には描かれているのが巨乳であることが問題だ、となり、現在では「女性らしい体の線を描いていることが問題だ」みたいなところまで批判の矛先が向いているわけだけど、つまりこれは「萌え絵がフェミニストに嫌われる」問題であって、嫌われ批判されても使っていくと言う姿勢を堅持してもらうしかないと言うことなんだよなと思った。

表現を規制される側の対応としては「断固として戦う」と言うのと「妥協できる点までラインを引き下げる」と言うことがあり、表現というのはもともと「誰も全く傷つけない表現というのはあり得ない」というものである以上、「そうであってもその自由は守られなければならない」というラディカルな部分を常に含んでいるわけである。

萌え絵という表現形式がフェミニストの求める男女観と根本的に相容れないものである以上(これは「平凡で穏やかな女性との幸せ」=「たのしいピクニック」というイラストに噛み付く人がたくさんいるのと同じ)嫌われるのは仕方がない、という面がある。嫌う方はなんだかんだと理屈をつけて規制しようとするし、守る方は「表現の自由だ」という以外に守りようがないのでそこを守ろうとすれば本当は批判はの根拠になっているフェミニスト理論そのものを批判し、それが妥当なものではないということを言っていくしかないということになるが、そこまでラディカルに踏み込んでいく人がそう多くないのは、やはりそうした左派コンセンサス=空気が現代の世界で厳然と強い圧力を持っているということの証明でもあるのだろうと思う。

ただ本質的に、人間の幸福というものはどういうものなのかという方向で考えていく時に、そうしたwoke的な方向で本当に人間が幸せになれるのかということもまた考えていくべきことだろうとは思う。あまり論争に絡め取られずに、本質について考えて行った方が個人としての幸せには到達しやすいのではないかと思った。


< ページ移動: 1 2 >
7/5070

コメント投稿
次の記事へ >
< 前の記事へ
一覧へ戻る

Powered by
MT4i v2.21