また明治以前の日本像というものも欧米に対し日本らしさを強調するために日本の中の非中国的な部分を強調してきたという指摘もあるように、福澤諭吉以来のそうした営みが逆に日本人自身にとって日本らしさを見えにくくしている面もあるのではないかと思う。
呉智英さんのいう「戦後を疑うだけでなくまず明治維新から疑え」というテーゼは日本の保守にとっては不可欠の論題だと思うのだが、その辺りで「保守と言ってもいろいろある」になり、まだうまく言説化されていないなといつも思う。なんとかしたいところである。