7.何気ない日常を守りたい:自分の政治・経済的スタンスとか「鬼滅の刃」とか(01/19 08:16)


< ページ移動: 1 2 >

「財政の無駄遣い」が喧伝された頃は、「無駄を省いてもサービスは守られる」という謳い文句で多くの人が「それなら無駄遣いは無くした方がいいだろう」と思ったけれども、結局のところその「無駄」で食べていた人たちの生活が削られ、サービスも著しく後退しているわけで、それらの説明が本当ではなかったことが今では明らかになって来ている。「無駄遣いをなくす」ということはあってもそれは守るべきものを守るために必要なことだと考えたから多くの人はそれを受け入れたのに、一部の人が異常な利益を上げ、大多数の人がその割を食うような状況が現出しているわけで、それは経済政策の方向性が間違っていたからだと言わざるを得ない。

経済成長を実現している多くの国ではリストラ至上主義だけではなく新しい産業の創出にも成功しているが、日本の場合はその将来への投資まで削る状況になっていて、ただのジリ貧状況になっている以上、経済政策を担ってきた経済官庁や経済を主導して来た経団連などの従来の主張に対しては厳しい目が向けられるのは当然だろうと思う。

もう一つは政治的な保守の主張だけれども、簡単に言えば「私は日本という国が好きだ」ということだと思う。だから歴史的な連続性というものを維持したい、守っていきたいという思いがある。もちろん、戦前のような地主小作制の社会に戻したいわけではないし軍国主義的なものが好きなわけではないけれども、その時代その時代に生きた人々が何を目指し何を大事にしていたかは考えていきたいと思うし、そうしたものが歴史を動かした力だとも思うから、そういうものに気をつけていきたいと思う。

特に日本のような社会は革命によって成立した国ではなく長い歴史を持っているので、設計主義的に社会を変えていこうという動きには賛成できない。漸進主義的な保守主義こそが日本の国柄に合っていると思うし、また私自身の身体感覚にも適合している、ように思うということなのだと思う。

また、移民を増やすことによって否応なく生まれる文化の多様性は日本のような自制的な国家においては国民統合を損なうものだと思う。文化の多少の変容はもちろん起こるべきことだが、ドラスティックな変化は避けるべきだと思う。

そういうことから、女性は主体的に生きるべきだと思うがフェミニズムの行き方には反対だし、伝統的なやり方を中心に自然環境を守るための工夫はしていけば良いと思うがエコロジズムには疑問が多いし、殺生を否定する仏教の思想は理解できてもヴィーガンの急進性は危険だと思うし、当然ながらネオリベラリズムの極端なメリトクラシー的な考え方も国民統合を損なうものだと思うし、清貧をよしとする思想が結果的に不安定な雇用・不安定な収入の中で日常を維持するのが難しい人への困難を助長していることは大きな問題だと思う。

「何気ない日常を守る」ことの大切さと、その困難さは、現在とても際立って来ている。そしてだからこそ、それを守るために命を賭ける「鬼滅の刃」や「呪術廻戦」、「僕のヒーローアカデミア」あるいは「進撃の巨人」のような作品群が多くの人の心に刺さるようになっているのだと思う。

自分の政治的・経済政策的スタンスと、自分の関心事への大きなつながりみたいなことについて考えてみた。それにしても80年台や90年台に言われていたような「終わりなき日常」というような日常観から、さても遥かなところに来たものだなあと思わざるを得ない。

なんとかしたいものである。


< ページ移動: 1 2 >
7/5059

コメント投稿
次の記事へ >
< 前の記事へ
一覧へ戻る

Powered by
MT4i v2.21