もちろんそれは万人向きの学習法と考えるべきではなくて、より高度なセンシティブな高い教育技能と優れた専門能力を持った人による教育が可能な人に対して強要される必要はない、モンテッソーリ教育のようなことが可能であればしたほうがいいだろうとは思うが、誰にでもできる状況ではない。
暗記教育・学習が社会階層を上昇するための一つの経路であり得るということの意味は、あまり軽視しないほうがいいのではないかと思う。
見田さんの近著から色々なことに触れてしまったが、今思っていることを書いた。