そこを考えていくと日本人の性根にあるのは本来「思想」なんかよりもっと良くも悪くも「やばい」ものなのではないかという気もするのだが、恐らくは頼山陽がいうような「気を振るう」というようなことと関係することなのではないかという気がする。
「きよくあかきこころ」なんていうのもそういうものに関係するものだと思うのだけど、あまりそういうことを断片的に論ずるのもアレだなとは思うので、ちょっと思ったこととして書き留めておきたいと思う。
ただ恐らくは「言葉の力」との関係が西欧の「思想」に比べるとそういうものは少し弱い、言葉以前のものとの関わりの方が強い感じがするので、押し負けているのは「言葉の力」のせいであるとしたら、言葉でどのように押し返すのかという話にはなる。それが文学の力ということになるのかもしれないが、この辺りはまだ自分の中でもまとまっていない。