6.活字中毒とツイ廃/歴史異説と稗史クレンジング/内田裕也さんと毀誉褒貶/MMTと満鉄調査部/(03/18 08:55)


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近頃はあまり見なくなったが(聞かなくなったわけでもないが)電車に乗ると本を開かずにはいられない人というのがいる。そういう人たちは半ば自虐的に「活字中毒」などと自らのことを呼ぶわけだが、私もご他聞に漏れず昔はかなりの活字中毒であったわけだが、最近は私を含めて電車に乗ったらまず本を出すのではなく、スマホを出す人が多い。私もiPhoneを出すことが多いのだが、iPhoneを出して何をやってるかと言えば、たいていの場合はツイッターを見ているわけである。そういう人を「ツイッター俳人」もとい「ツイッター廃人」などとこれも自虐的に呼ぶわけだが、これはおそらく活字中毒の一つの亜種、ないしは輪廻転生した形であるのだと思う。

昔はそれこそ電車に乗る用事があるならそのためにまず読む本を用意するところから(というかたいていの場合は読みかけの本があるわけだけど)始まったが、最近は本を持っていてもまずツイッターを見てしまう場合も多い。だからおそらく昔に比べると圧倒的に本を読む量は減っているのだが、それでも本棚の本は増えていく一方なので(私の場合はコミックスが月に数十冊の単位で増えてしまうこともあるのだが)活字中毒自体が寛解したわけではないわけだ。

昔は電車の中で本を読んでいて、ああ、これは内容が薄いなとか、もう飽きた、と思っても他に読むものがないから一応最後まで読んでたことが多いのだけど、最近では飽きたらすぐスマホを見てしまうのでなかなか最後まで読めなくなった、ということがある気がする。

あとは、昔は分からない言葉、知らない言葉があってもとりあえずは疑問はあとにして最後まで読んでから覚えていたら調べる、という感じだったけど、今では分からない言葉、知らない表現が出て来たらすぐグーグルで検索するようになっているので、途中で読書を中断する機会がすごく増えたということもある。昔はすぐ辞書を引く人は偉いなと思っていたが、今ではすぐググってしまうと逆に読書体験自体が中断して、下手をするとそれをきっかけに本を離れてウィキペディアを読みふけってしまうこともよくある。

つまり、本自体を読むよりウィキペディアを読んでる方が面白いということが実際によくあり、本当につまらない本を読み続けるのが難しくなった。

つまらないと言っても本当に内容に価値がないとは限らず、重要であるのに読みにくいから、あるいは自分には難しすぎるから読み進められないということもあるわけで、そこで中断してしまうのは惜しいという場合も多い。だからそこは何とか頑張らなきゃとは思う。

ただ、別の言葉で言えば所詮時間つぶしで読んでるのだとしたら、活字である必要はあまりなくなってきている。というのは、本というのは一冊である種の主張を読むことになるわけだけど、ツイッターなら140字で玉石混交とはいえいろいろな主張を読めるから、その分かなりキッチュではあるが濃い感じのリーディング体験になるわけだ。

実際のところ、ツイッターを見ていて「この本を読みたい、買いたい」と思うことも多いし実際に買ったり読んだりしているので、ツイッターと読書が対立的ということはないわけで、でもまあある種の望ましいバランスみたいなものはあるのだろうとは思う。本の書き手の側もツイッターは面白いのに、あるいはブログは面白いのに、著書の方は、みたいな人もいなくはないので、その辺は頑張ってほしいなとは思うのだが、もちろん著書を読むことでその人の日々のツイートの意味が全然深みを帯びて感じられるようになることもあるし、まあそういう意味で言えばツイッターという寄生木と巨大な書籍世界という古木、巨木のようなものとは共存共栄していると言えるのかもしれない。

まあ、宿り木の方が強くなりすぎて巨木がやや弱っているということもなくはないのだろうけど。

***

最近、日本中世史の呉座先生やそのほかの歴史関係の人々が歴史の異説を書く人たちの言説に対してコメントする本やツイートをしていて、それに対していろいろ異論反論を書く人もあり、かまびすしいのだが、私は昔、松本清張が私費を投じていろいろな古文書を集め、それを読んで自分なりの異説を発表したものの、国史学界から全く無視されて「否定でもいいから何か言ってほしい」というようなことを書いていたのを読んだ覚えがあるので、呉座先生たちの活動のそのこと自体はいいと思うのだが、あまり峻烈にそういう説を否定するのも、ある種の「稗史(はいし)クレンジング」みたいな感じがあって、行き過ぎない方がいいと思う部分もある。聖徳太子関係などは特に民間信仰と結びついたそういう部分があるし、楠木正成の説話などについてもその人の、あるいはある集団のアイデンティティと関わっている場合もあり、「歴史的事実とは別の真実」が大事である場合もある。


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