5.「宝石の国」12巻を読んだ:天人五衰・仏を荘厳しない宝石たち/ゼレンスキーはなぜ逃げなかったか:「想像の共同体としてのウクライナ国家」は生きて戦っている(11/23 08:06)


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11月23日(水)勤労感謝の日。

明治以降、新嘗祭が行われた新暦11月23日を戦後勤労感謝の日と定めたわけで、元々は皇室行事でありまた農業の祭り、収穫祭の儀式の日である。天神地祇とともに天皇が新たな穀物をきこしめすことにより我が国が「豊葦原瑞穂国」であるという事実を更新する、というのが本義ではないかなと思う。今日がまた、新たな「豊葦原瑞穂国」の始まりの日ということになる。

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昨日は「宝石の国」12巻が発売になり、私は176ページハードカバー小冊子付きの特装版を買った。少し高かったが、文化には課金するというのも私の一つの主義ではある(なかなか全てというわけには行かないが、平均よりはかなり支出しているとは思う)ので、自分がいいと思ったものはなるべく買うようにしている。

12巻を読んでみて展開が頭に入っていないのでおかしいなと思って11巻を読んでみたら、こちらも全然読んでないことに気がついた。10巻まではちゃんと読んでいるのだが、あまりに頭の痛い展開になってきていたので調子が良くなってから読もうと思っていたのだなと思う。昨日は11巻と12巻を通して読んだが、なかなかハードな展開だった。

以下はネタバレ等含まれているので気にする方は飛ばしてください。

「宝石の国」というのは地上の人類が滅びた後の世界。人類は月に行って生き延び、永遠の時を享受している。これは、仏教でいう六道輪廻の「天人」の世界なのだと思う。市川春子さんのインタビューを読んだ時、この作品が仏教的な世界を描いているということを知ってへえっと思ったのだが、そう思って読むと読み方の方針が決まるのでありがたいという感じはある。

「月の世界」ではかぐや姫の世界と同じように、天人の世界が展開していて、彼らは永遠のような長大な寿命を持ち、生きることに飽いている。(これは天人五衰ということだろう)しかしそれを終わらせることができるのは人間の作った機械である「金剛」だけであり、それは壊れてしまって地球にある。

金剛は地球に残されたが人間の因子が鉱物と合体して生き物になったものを見つけ、それを保護するのは自分の義務だと考える。金剛は浜辺で打ち上げられた宝石たちを人のように扱い、作り上げ、宝石たちの国を作る。宝石たちもまた無限に近い寿命を持ち、その意味では天人であるだろう。それがこの話のメインの舞台になる。

月人たちは金剛を手に入れるために宝石の国を行くたびとなく襲い、その度に宝石たちは戦って月人を撃退するが、硬度の低い鉱石たちは戦うことができず、それぞれ役割を与えられている。その役割も与えられないみそっかすの「フォスフォフィライト」がこの話の主人公であるわけだけだ。

フォスはその弱さの故にさまざまなものを体に取り入れることによってその性格を変えていくのだが、人間の末裔は宝石と月人だけでなく、海の底にいる海棲生物となったアドミラピリス族もまたそうだということがわかる。

途中の話は略するが、結局月と交信をとったフォスがこの三つ巴の世界を終わらせる動きをし、月人たちは宝石たちもアドミラピリス族も金剛も含めて全てを月に連れ去るのだが、フォスだけは地上に残されて10000年の時を過ごすことで、金剛の能力、すなわち全てを終わらせる力を持つ。

この展開から考えると、フォスは菩薩であり、ドロドロに溶けた悲惨な姿は未来仏である弥勒菩薩が思惟しているポーズであるように思われてくる。

多分まだ読めていないところがいくらでもあるので考察勢の考察をもっと読んだ方がいい気もするのだが、もう少し時間をかけて自分で読み解きたい感じもするのでもう少し経ってからにしようとは思っている。

アフタヌーン10月号=12巻ラストは全ての消滅であり絶対的な救済であるようにも思えるが、相当な引っ掛かりを残しているし、「もう少しだけ続く」ということなので、待つしかない。明後日発売のアフタヌーンにその続きが出ているのかはちょっとわからないのだが。

気になるところで言えばフォスの相棒だったゴーストが姿を変えてカンゴームになり、月人の「王子」であるエクメアに気に入られて「姫」になるという展開にどういう意味があるのかということ。


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