4.丸の内彷徨/イオンモール彷徨/「生産が娯楽になるタイプ」はどこにいてもやっていける(04/23 07:04)


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こうして書いてみると昨日はあちこちでずっと道に迷った日だったが、まあ迷うのも観光の一環みたいな感じだなとは思う。その時はけっこう心の中でぶつぶついっていたけど、まあ娯楽の範囲内だったかなとは思った。

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くまきちさんの「田舎が苦にならない人間は「生産を娯楽にするタイプ」が多い」というツイートを読んで、そのことについてずっと考えていたのだけど、考えれば考えるほどその通りだなと思うのだが、生産が娯楽になるタイプの人というのは田舎でなくても、都会でも海外でもどこでもやっていけるなと思った。料理が好きとか部屋を整えるのが好きとか建築会社に勤めているのに休みの日にも家で何か作ってる人とか、そういう人というのはいるわけで、材料さえ手に入ればどこででも楽しめる。作家の人とかも、手慰みの文章を描く人が多いけれども、そういう人は田舎暮らしとかを材料に書いていたりするわけで、むしろ必要以上の情報を遮断するために田舎に住んでいるという感じはあるだろう。もっとも今はネットがあるからジャンクでよければ情報は大体どこにいてもいくらでも入ってくるわけだけど。

消費を娯楽として楽しむ、というのは基本的に都会的な生活様式であって、それはそれで楽しいのは確かだが、都会はスクラップアンドビルドが激しいので楽しめた場所がいつの間にか無くなってしまうということも多い。消費的な楽しみというのは向こうが提供してくれるものを楽しむわけだから受け取る側の選択肢はそんなに多くなく、元気のいい時は新しい楽しい場所を探すこと自体が楽しみになるけれども、元気がないときは気に入った場所が無くなったり行ってみたら嫌な客がいたりするような些細なことでダメージを受けるし、新しい場所を探すといってもそういうものにもトレンド=流行があって「一時期流行ったようなカフェ」というのがどんどんなくなり全部スタバみたいになっていく傾向もあって、スタバみたいなところが落ち着かないこちらとしてはなかなか辛い感じであったりもする。

こういうのは「お洒落な書店」などにも感じることで、自分が求めているものと違うものがプッシュされていると特にいく必要はないかなと思ってしまう。それならば自分の蔵書を充実させて家で本を読んでいる方がいい、みたいになっていくなあと思う。

自分はどちらかというと消費を娯楽、息抜きにしようとしすぎていた傾向があったなと考えながら思ったのだけど、多分それは元々の性向というだけでなく都会人を気取ること自体が楽しかったからということもあるような気はする。

いずれにしても消費だけでは生活できないので生産行為は必要なのだけど、どうせなら全体的に楽しむ方向へそういうものも持っていけるといいなとは思った。


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