4.期日前投票に行く/トスカニーニを聴く/「ふつうの軽音部」:何度読んでも新しい発見があって面白い/大学問題:地方国立大学の位置について(04/22 08:36)


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創作作品というのは何度も読み返しているうちに気づくところがあるというのが名作の特徴であるわけだけど、最近は一般に文章は一読でわかるのが良いとされているわけで、そういう文章に慣れている人が多くなるとどんどん小説やマンガに対するハードルは高くなるよなと思ったり。ただ「ふつうの軽音部」は一読しても面白い、何度読んでももっと面白い、という作品なので、これからも期待したいと思ったのだった。

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夜ツイッターでやり取りをしていて、「大学問題」、つまり大学は社会・国家の中でどういう役割を果たすべきか、みたいなことをかなり考えさせられたのだが、私は大学時代からかなりシンプルに「国家社会に有為な人材を育てるため」でいいと思っていたのだけど、問題は結構複雑なのだなと思った。

大学教育が国家のためなのか個人のためなのか、また研究活動というものが個人のためなのか国家のためなのかそれとも人類のためなのか、など形而上的なテーマも絡んでくるのでこのあたりは自分の意見は言えるけれども現実の趨勢は自分の考えとはかなりかけ離れたところで動いているのだなという気はする。ただこれはしっかり考えて書きたいところだなと思う。

一つだけ書くと、地方国立大学の問題だけど、地元から進学する人がある程度いるのは確かだが、国立なので全国から人が集まる。そしてその中でも教育熱・進学熱が高い首都圏の学生がより多く入って来やすいということがあるようである。

このあたりのことは医学部では以前から聞いてはいて、地元の大学の医学部に入学することを「都落ち」と表現されて失礼なと思ったのだが、学費を考えれば東京の私立より地方の国立、となるケースが多いのはまああるだろうとは思う。ただ場合によっては地元よりも首都圏の学生の占拠率が多くなるとその大学の地域性の意義という問題も出てくるから、特に医学部などに関しては地域枠という制度を設けて地元の学生を確保し、地域医療につなげようとはしているわけである。

地方の方が進学熱も教育熱も低いし教育資源も少ないから地方の経営を成り立たせるためには必要な措置だと地方の側からは思うがそこに不公平性があるという主張も成り立ちえなくはない。

また地方国立大の存在はその県の教育レベルを支えるものでもあるけれども、首都圏からの学生が多くなるとただでさえ首都圏に比べてチャンスが少ない地方の学生のチャンスがさらに減るという面もあり、国立大学の存在が格差是正の方向ではなく拡大の方向を加速しているという見方もあるのだそうだ。

そういう意味では首都圏への経済的・政治的一極集中こそがそうした教育格差を生んでいるわけだから、むしろそういう言う一極集中問題の一つの現れであって大学問題単体としてというより「国土の均衡のとれた発展をいかに実現するか」という古くて新しい問題の一環なんだろうと思う。

まあ私個人としては大学経営というのも市場原理主義的な考えではなく、国家社会のために有為な人材を育成するという崇高な使命があるということを自覚してもらい、それを国家・財務省・文科省もしっかり支援する、というのが正しいと思うのだが、左翼学者の蔓延によってそれが難しくなっているなどの問題はあるのだろうなとは思う。また近視眼的な市場経済主義による国の支援の欠如という問題もあるのだろう。

十分に全体像を描く余裕は今ないのでこれくらいにしておくが、そうした問題として意識されている事らを前提としたうえで、もう少し自分の考え方を詰めてみたいなと思っている。

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せっかくブログ・noteを書いているので、自分でなければ書けないものをもっと書いていかないとと思うが、まあその辺を意識してまた書いていきたいと思う。


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