父親というものは越える越えないという問題はあるのでいつも面倒なものではあるのだけど、自分が自分になっていく過程で強く影響を受けていることは確かでそのあたりを否定していると自分自身のある部分を否定せざるを得なくなるのでいろいろと面倒なのだけど、むしろ今はこの場面で父はどんなことを考えたんだろうか、みたいなことの方に関心が移ってきているのは、自分がものを考えるときの参考材料としてはそれなりに使えることだ、というかむしろ自分だけが生かせる材料として父が考えたことがある、という風に感じてきているからなんだろうと思う。
父は前に書いたような人だったから色々な人に影響を与えているのだけど、亡くなってしまったらやはり急速に忘れられていくというか、ああ人が死ぬというのはこういう感じなんだなと思うのだけど、生きていればこその影響力というものがあるわけで、死んでも影響力を残そうとするなら結局は書いたもの、作り上げたものの影響力というものしかないわけで、断片的ながらせっかくだからそういうものを拾い上げつつこちらが何かをしていく際に生かしていくのがまあ供養というか、そういうことなんだろうなと思ったりもしている。
祖父は小学校の地理の教師だったのだが、父の部屋になぜか祖父のものであろう地理の戦前発行の大きな本が何冊かあって、そういうものに出くわすと祖父の息吹が思わず感じられてそれも懐かしいなと思う。
好むと好まざるとのにかかわらず、人はある一定の流れの中で生きていて、部屋の片付けをしながらそんなことを感じた朝だった。
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