4.父の蔵書とか父を越えるとか越えないとか(06/15 07:41)


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「保守の思想」の編者であろう、解説を書いているのが橋川文三で、序論を書いているのが白鳥邦夫。取り上げられている思想家たちは三宅雪嶺、徳富蘇峰、柳田國男、津田左右吉、中野重治、鈴木大拙、柳宗悦、唐木順三、岡潔、保田與重郎、鈴木成高、田中耕太郎、福田恆存、安倍能成、和辻哲郎、谷川徹三、竹山道雄、武者小路実篤、葦津珍彦、古島一雄、吉田茂。一見してこの人を取り上げているのは妥当だろうと感じる人もいれば、この文脈での取り上げ方は意外だと感じる人もいる。ただ中野重治とかも柳田國男との対談が取り上げられているのだけど、柳田の新憲法とか新民法に対する懸念みたいなものも理解している感じがあって、面白いなと思った。パラパラと見ただけなのだけど。

父親というものは越える越えないという問題はあるのでいつも面倒なものではあるのだけど、自分が自分になっていく過程で強く影響を受けていることは確かでそのあたりを否定していると自分自身のある部分を否定せざるを得なくなるのでいろいろと面倒なのだけど、むしろ今はこの場面で父はどんなことを考えたんだろうか、みたいなことの方に関心が移ってきているのは、自分がものを考えるときの参考材料としてはそれなりに使えることだ、というかむしろ自分だけが生かせる材料として父が考えたことがある、という風に感じてきているからなんだろうと思う。

父は前に書いたような人だったから色々な人に影響を与えているのだけど、亡くなってしまったらやはり急速に忘れられていくというか、ああ人が死ぬというのはこういう感じなんだなと思うのだけど、生きていればこその影響力というものがあるわけで、死んでも影響力を残そうとするなら結局は書いたもの、作り上げたものの影響力というものしかないわけで、断片的ながらせっかくだからそういうものを拾い上げつつこちらが何かをしていく際に生かしていくのがまあ供養というか、そういうことなんだろうなと思ったりもしている。

祖父は小学校の地理の教師だったのだが、父の部屋になぜか祖父のものであろう地理の戦前発行の大きな本が何冊かあって、そういうものに出くわすと祖父の息吹が思わず感じられてそれも懐かしいなと思う。

好むと好まざるとのにかかわらず、人はある一定の流れの中で生きていて、部屋の片付けをしながらそんなことを感じた朝だった。

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