3.弥助問題に見る「アイデンティティ・ポリティクスの危険性」と「日本人はなぜ腹を立てたのか」/バイデン大統領の撤退表明と経済・安全保障への影響(07/22 11:13)


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もう一人は東大史料編纂所の岡美穂子さん。ご主人のルシオ・デ・ソウザ氏と共著の「大航海時代の日本人奴隷」(中公選書)や羽田正さんとの共著「Maritime History of East Asia」(京都大学出版会)などがあり、リスボン大学に留学されているなど東アジアの「奴隷」についての専門家だということだろうと思う。京都大学出身で東大の准教授というのは上野千鶴子さんと似たコースではある。

この方はご主人のソウザ氏がロックリー氏の近著「A Gentleman from Japan: The Untold Story of an Incredible Journey from Asia to Queen Elizabeth’s Court」のレビューに寄稿するという距離感にある方で、岡さんも「つなぐ世界史」第2巻にロックリー氏の小論を収めるなどの関わりもおありのようである。ツイートでもロックリー氏に非常に擁護的というか、批判に対してはヘイトだと退ける姿勢がおありだった。

実際、岡さんやソウザ氏の著者のレビューを拝見すると、弥助の問題は大航海時代に思った以上に世界で人的交流があったのだ、という知見を明らかにするという点では面白いエピソードであるし、その辺りをもう少しちゃんと読んでみたいとは思う。

私もこの問題を最初に聞いた時、何が起こっているのかよくわからなかったが、いろいろな方にご教示いただいたりツイートを読んだりしているうちに、日本人にはあまり意識されていないが、世界ではずっと展開し続けているアイデンティティ政治(identity politics)の問題なのだ、ということがようやく理解できた。

大航海時代に日本に来た黒人がいて、彼が信長の家来になったというのはそれ自体が興味深いエピソードであるのだが、それを意図的に利用して黒人の文化英雄として弥助を祭り上げて、日本に多くの黒人奴隷がいたとか特別の地位を築いた黒人もいたとかその子孫はまだ多くいるというようなストーリーを事実として創作ないし捏造しようという動きが起こっているということである。

それにはロックリー氏の著書が大きな役割を果たすとともに、アサシン・クリードというゲームにおいてロックリー氏の観点から弥助を黒人の英雄として取り上げることでDEI、すなわちDiversity, equity and inclusionの観点において高評価のものを制作しアピールしようとしているフランスのUBIの戦略が大きく働いたわけである。

DEIについては先に触れた20日のnoteの中でその問題点を挙げているが、「多様性、公正性、包括性」というスローガンの元に、人種で言えば黒人の立場を今まで排除されてきた存在と見做し彼らにアドバンテージを与え、それらに反対、批判するものについてはヘイトであるとかレイシストであるとかのレッテル貼りを行うことで排除しようという運動になっているわけである。実際、海外の弥助信奉者とのやり取りで疑問を呈するとそのような悪罵を投げつけられる例が多発しているようである。

しかし、先のnoteに書いたように全ての黒人がこうした立場を支持しているわけではないわけで、これはLGBT運動の主導によってさまざまに行われているトランスジェンダーの取り組みに対して、当の性的少数者の人たちから強い批判が多数寄せられているのに対し、運動家の側が激しい言葉で悪罵をぶつけている例もTwitterでよくみられる現象である。

アイデンティティ政治というものは、このような形で主導する運動家たちとそれに扇動され追随する人たちが暴力的な言動に走るという現象を引き起こしているわけであり、これらは尖閣問題に見られるように中国などの政府自身が主導して行う場合もあるが、最近では政府は後景に退いてそうした工作を行う人たちの手によって行われる場合もあるし、また完全にローンウルフというか一匹狼のような人が大きなうねりを引き起こす場合もあって、当の中国政府はむしろそれを抑圧する方向に動いている。コントロールができないことが最大の問題だからだろう。アイデンティティ政治はそうした厄介さを常に持っている。

こうしたアイデンティティ政治の起源の一つは、ナチスのユダヤ人らに対するさまざまな言説ではないかと思う。ドイツ国民の中にある第一次世界大戦の敗戦への不満に対して、「ユダヤ人が背後から撃った」「共産党の策謀である」といった言説によって大きな迫害状況を作り上げた。もちろんこうしたユダヤ人ら少数者に対する迫害はそれ以前から見られたが、19世紀は概ね理性の時代・科学の時代であり、また古典的民主主義に対する信頼があったから、ドレフュス事件のようなユダヤ人迫害も最終的には解決している。

しかし20世紀に入り、大衆政治状況になってからはアイデンティティ・ポリティクスは有効に機能し始めたと言えるのではないかと思う。

書いている間に長くなってきてしまったので戦前の日本のこととかは飛ばす。

日本にとって最大のアイデンティティ政治の敗北は、第二次世界大戦だっただろう。アイデンティティ政治あるいはアイデンティティ戦争に関しては、上に述べたナチスによるユダヤ人攻撃、欧米における黄禍論など20世紀前半にはすでに始まっていたわけだが、日本があからさまにそれに巻き込まれたのは極東軍事裁判とそれ以降の日本罪悪論の展開だっただろう。


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