昔、三代目市川寿海という歌舞伎役者がいた。寿海というのはもともと歌舞伎十八番を制定した幕末の大立者・七代目市川團十郎の俳名であり、それを明治の大立者・九代目團十郎が継いだものなので、役者として寿海を名乗ったのはこの三代目しかいない。團十郎の係累でも弟子でもない(五代目市川小団次の弟子)この人がなぜ寿海をつぐことができ、また成田屋を名乗ることができたのかは調べられてないのだが、東京で役に恵まれず上方で名を挙げ、その中心になったものの最後まで「東京から来よった役者」の印象が強く、弟子の八代目市川雷蔵が歌舞伎を離れて映画スターになったのも舞台に恵まれなかったことが原因という話もある。
その寿海であるが、晩年は舞台で立つこともできないほど弱っていたものの出演を続け、1970年12月の京都南座顔見世「将軍江戸を去る」が最後の舞台になった。これは真山青果の新歌舞伎で最後の将軍・徳川慶喜が江戸に別れを告げる演目なのだけど、ずっと座ったままの演技だった。ところが千秋楽の大詰めの千住大橋の場面で寿海はすっと立ち上がり、観客は驚いてどよめき、大向うから「立ったぁー!」の掛け声がかかると場内からは万雷の拍手に包まれて、定式幕が引かれる中、壽海は舞台奥に消えた、という伝説的な役者人生の最期を迎えたのである。
「寿海が立った」というのはもちろん驚きではあっただろうし、弟子の雷蔵を前年の7月に肝硬変で失うなどの悲劇的な背景もあっただろうけれども、立つという動作だけで人々を感動させるというのは誰にでもできることではなく、それによって人々に「これで見納め」の感を強く持たせたのだろうと思う。
ということを序文を読んだだけで考えたのだが、内容はまだ読んでいないので見当違いのことを書いてるかもしれないのだが、久しぶりにそういうことを考えたりした。
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夜、Dモーニングを読もうと思いiPadでアプリを立ち上げたら、なぜか無料で読める作品しか読めなくなっていて、何度もリロードを繰り返したりしたのだが、一度アプリを削除して再インストールしてみたら課金情報の確認みたいなポップアップが立ち上がって、それを見たらクレジットカードの有効期限が11月で切れていることがわかり、新しい有効期限とセキュリティコードを入力し直して再び立ち上げたらようやく有料作品も読めるようになった。アプリ上に「有効期限が切れた」という情報が提示されるまでにかなり手間が必要だったのはちょっと困るなと思うし、講談社のアプリ開発の方にはもう少しわかりやすくしてもらえるとありがたいと思った。
また、ヤングジャンプのアプリでも本誌の内容をサブスクで読めるようになったのだが、それに伴って「推しの子」の単品でのレンタル額が80ポイント(円)から120ポイントに値上げされていた。私は本誌を毎週買って読んでからこの回に対する感想を読もうと思ってアプリで課金して読んでいたので、かなり大幅な値上げに感じた。実際5割り増しになったわけであるが。感想を読んでいても値上げに対する怨嗟の声が感想それ自体だけでなく少なからず書き込まれていて、それぞれ事情は違うだろうけれども値上げを怒っている人が多いのだなと思う。
恐らくは、単品の値段を上げることによってデジタル本誌全体のサブスク(月額980円で期限なし読み放題)に誘導しようとしているのだろうとは思う(月4回押しの子を読めばそれだけで480円になる。しかも2週間のレンタルである)のだが、人の読み方はそれぞれなのでその辺りはもう少し考えてもらえるとありがたいとは思った。そういえばサブスクでも感想は読めるのだろうか。その辺りも気になるところである。