2.学び直し/ありふれた動作を見せることで見るものを感動させること/Dモーニングとかヤンジャンアプリとか(12/08 07:31)


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12月8日(金)晴れ

今朝の今のところの最低気温はマイナス1.7度。昨日に比べると寒く感じるが、まだ厳冬期の寒さではない。このところフロントガラスが凍結しなくなっているのは、空気中の水蒸気量が下がっているからかなと思う。毎年かかとにひび割れができて痛いのだが、今年もかなり痛くなってきた。水分は気をつけてとっているつもりだが、冬だなと思う。さらに気をつけたい。

昨日は午前中会計の事務をやってもらっていたのだがパソコンがおそらくWindowsの更新が自動的に行われた後でスペック不足なのか動かなくなり、頼まれて診たのだがいろいろとトライして持ってる知識や機器を総動員して見ているうちになんとか作業できる状態にできた。まあ良かったのだが、昔はかなりパソコンなら自分の使おうとする範囲なら結構なんでもわかるつもりだったけど考えてみればそれは2000年ごろの話で、その後20年以上の進歩には十分ついていけてない。改めていろいろ使いこなすためには学び直していかなければならないことが多いのだろうなと思ったり。世の中の変化についていくと言うことは、それだけで大変なことなのだと思う。

後を任せてまずクリーニングを出し、書店に車を走らせて来年の歳時記カレンダーと日めくりを二つ買う。日めくりはなんか好きなので職場と作業場の両方にかけている。昔は父の同級生の薬局が毎年暮れたのでそれを使っていたのだが、薬局が店を閉じたのでその後は毎年買っている。歳時記カレンダーは以前母が俳句をやっていたので参考のために買っていたのだが、母が施設に入ってからもずっと買っているのは、まあ家に帰ってきた時に変わらずに過ごせるように、と言う気持ちもあるのだなと今書きながら思った。そう言う無意識の気持ちというのは自分ではよくわからないところもある。

昼食の買い物をして戻り、会計の人といろいろ雑談して今考えている企画の話などしたりしたのだが、少しずつアイデアも出てきたのでうまく形になると良いなと思う。

昼食後うたた寝をした後LINEを見たら荷物がヤマトの営業所に届いているという連絡が入っていたので受け取りに行くことにする。時間があったら図書館にも行こうと思ったのだが、ちょっと時間は無くなった。

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その代わりに家の近くの古書店に行くことにし、のぞいてみると棚の配置が変わっていて、薪ストーブの周囲を棚で囲う構造になっていて、基本的にこの書店は美術書が中心なのだが、入り口のあたりには一般書の棚もあって、仕入れ先から一緒に仕入れてきた本と思われるものが並んでいた。その中で興味が湧いたのが梅若猶彦「能楽への招待」(岩波新書新赤823)で、ストーリーも日常性も与えられない時に実際にコーヒーの入ったカップを持って「コーヒーを飲む」という動作をどのように見せるか、それを能楽師とパントマイムの人がやったらどうなるか、という話から入っていて、なかなか面白いなと思った。

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これはつまり「コーヒーを飲む」というなんの変哲もない動作を見せることでいかに感動させられるか、という話である。つまりリアルな動きをただ見せたところで感動は与えられない。しかし考えてみれば、日本の芸事というのは究極はそういうところがある。能の多くの時間はただシテが歩くことに費やされている。歩くこと、立ち上がること、そうした動作一つ一つに詰まっているものを見なければ能を見たことにならない、ということがある。例えば茶道ではお茶を立てること、お茶を飲むこと、その一つ一つの動作が芸であり、感動であるわけで、またそれは落語家が高座でただ「そばを食う」動作をするだけで感動させるのと似ている。「幕末太陽伝」では主人公のフランキー堺が、ただ「羽織を羽織る」場面を何度も練習していた、という話がある。これはもちろんヨーロッパ映画などでも同じだろう。日常的な動作ほど難しいというのは、舞台芸術・映像芸術にとってそれらが根本を成り立たせる部分があるからだろう。


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