これはどちらもある種のバイアスがかかっていることは間違い無いので、文字のない状態からこころの中身を再構成するという離れ業に挑んでいるという共通性があるわけで、それぞれの説得力のある部分を参考にしていくということなんだろうなと思う。
保守系の歴史を確立しようとしている西尾幹二「国民の歴史」や読んで無いのだけど百田尚樹「日本国紀」などでは記紀の内容だけでなく、考古学的な成果も取り入れようとしているのだけど、その辺りはどうしても立ち位置の違う科学を一つにして描かなければならないという限界があり、無理をするくらいなら両論併記でもいいと思うのだが、いずれにしても「一度失われたものを再構成する」という難しさはよくわかる。この辺りの信仰についての研究で最近面白かったのは溝口睦子「アマテラスの誕生」(岩波新書、2009)なんだが、神話研究の成果なども取り入れながら書いていければいいなと思う。
西尾 幹二
産経新聞ニュースサービス
1999-10-01
やはり本を読むことで自分の中の様々なものが掘り起こされてくることはあるなと思う。面白い本を読んでいきたいものである。
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