10.美しいところだけ、好きな人に見てもらったのね:「風立ちぬ」(04/13 08:16)


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この「風立ちぬ」は生と死の物語でもある。私は自分自身に死は迫っているという実感はないが、この映画の一つの主題である「創造的な人生の持ち時間は10年だ」ということは常に考えていて、それは「今」だろうと常に思いながらその時その時で苦闘してきていて、でもうまくいってなかったのだけど、考えてみたら今ようやくその10年が始まりつつあるのかなという気もする。

その10年を、主人公二郎は「好きな人」とともに送りたいと考え、重い病の菜穂子とともに上司の離れで生活を始める。彼に取っての最上の飛行機の設計という仕事で日中は一緒にいられず、また夜も手を握りながら仕事を進める、そういうエゴイズムを彼は貫いた。

そしてその晴れの試験飛行の日、菜穂子は家を抜け出し、山の療養所に帰る。それを追おうとする次郎の妹に、上司の妻はいう。「美しいところだけ、好きな人に見てもらったのね」と。それは菜穂子にとっての、最上のエゴイズムであったのだなと思う。菜穂子も、自分にとっての最上のエゴイズム、エゴイズムといって悪ければ「美学」を貫いて死んだ。

このことが特に印象に残っているのは、私も身近な人の死に接し、生き様を貫いた人の逝き方を見たからだ。もちろん本音をさらけ出し、苦しみをさらけ出して生き、死んでいく生き方もあるし、それはそれで人間らしいとも思うのだけど、やはり素晴らしい逝き方を見てしまうと、やはりああいう風に生き、ああいう風に逝きたいと思ってしまう。宮崎監督も二郎の生き方、菜穂子の行き方を通じてこういう素晴らしい人間がいる、見事な生き方があるということを示したかったんだろうなと思う。時代背景があるだけに、そこが複雑になってしまっていて、ものすごく多面的な見方ができる映画になっているのだけど、本当の底の底にはそういうものがあるのではないかなと思う。

人は時代や状況に翻弄されざるを得ないけれども、その中でどのように生きるか。生きる、というのは時に過酷なことではあるのだが、というより多くの部分が過酷なのだけど、その中で少しでも自分として満足のいく生き方ができれば、それは幸福だったということなのだろう。そしてそれは時に強い批判にさらされることもある。でも幸福が、そこにあることの方が大事なのだと思う。

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