1.「神の雫」の人間関係/全国の医師がGoogleのクチコミを提訴:ネット加害に乗らないリテラシーの重要性(04/19 07:38)


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「みんなの意見は大体正しい」ということが担保されるには、意見を表明する人が十分な情報を持っていて公正に発言することが必要なわけで、それ自体を成立させる責任が本来は事業者にあると考えるべきなのだろうと思う。ただそういう人間的な責任という部分に関しては膨大な労力が必要なので訴えられたら対処する、という後追いでカバーするというのがそうした事業者の基本姿勢になっていて、誰かが被害を受けてしまうこと自体がデフォルトで姿勢の中に組み込まれてしまっているわけだからそういう事業の仕方が本当に良いのかという問題はあるだろうと思う。これはこうしたサイトのAI化によってより事業者の無責任性が免責される傾向にあるという問題もあると思う。「クチコミサイトだから変な評価があるのは仕方ない」「AIだから人間ならしないミスがあるのは仕方ない」などと利用者が飼い慣らされてしまう危険は現実化しているように思う。

逆に言えば、そういう情報のコントロールが巧みな人間がうまく世を渡っていくようにネット社会ではなってしまっている。しかしまあ、民事訴訟の世界などを見ていると弁護士同士のやり取りなどは常人には耐えられないようなものが普通にあるわけで、正義だとか仁義だとかはの幻想をこの世界に持ち込むとかなりの茨の道ではあるようである。裁判官だからといって理性的で公正であるとは限らないということもいろいろな例を見ているとわかってくることではある。

まあそういう意味では口から出まかせで人間の心を動かして相手を平気で陥れる「葬送のフリーレン」の魔族のような人たちは現実にいるということは認識しておいた方が良い。

逆に言えば、クチコミサイトなどのどこの誰とも知らない人がどういう意図で書いたわからない口コミを信用するということ自体がリテラシーが低い行為であるということなのだが、ネット被害にあわないようにすることも重要だけれどもネット加害に乗らないこともまたリテラシーとして重要なのだということをはっきりさせる必要があるのだと思う。

「風評加害」という言葉が福島原発事故以来のマスコミや運動家の加害ぶりを表現する言葉として出てきているけれども、こうしたものとも重なってくることで、加害者をのさばらせないためには法的な手段に訴えることも重要ではあるが、まずその情報の受け取り手である我々自身が加害者に乗らないことを常に心がけていくこともまた重要なのだろうと思う。



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