1.デフレとインフレと中国/「生活」に目が開いたこと/「国家を超えた超権力」を求める日本人の幻想/イランとイスラエルと国際正義(04/16 11:15)


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私はもともと「生活」というものがそんなに下手だったとは思わないのだが、なぜそんな生活概念が欠落した感じに今までなっていたんだろうと思っていろいろ考えてみると、やはり「余裕がなくなった」からなんだろうなと思う。父が亡くなり、仕事仲間が倒れ、母の介護などが入ってきて、その人たちがやっていた仕事を全部やらざるを得なくなって、結局削るものは「生活」しかない、みたいな感じになっていたということなのだろうと思う。

その後はとにかく頑張って、回らないところを回すための工夫もいろいろしながら、それでもコロナで打撃を受けてさまざまが回らなくなり、なんとかかんとか青息吐息という感じで回してきて、まあそんなことをやっていたら生きていても楽しくない感じが出てきても仕方ないなという気はするが、それでも昨年後半くらいからようやく局面によっては明るい要素も出てきた感じがし、今年になってその光が少しずつ大きくなってはきたかなという感じがする。2月は暖かく3月は寒い、という奇妙な季節感のずれもあり、年度末年度始めのさまざまな仕事もあってようやくそれが一段落したから、そういうことにも目が開かれてきたということなのかなと思う。

ということで、こちらにも生活関連でもう少し楽しい役に立つこともかけていけると良いなと思っている。

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「政治」とは何か、というようなことを考えていて、主要な要素は「政策」と「権力」ということになり、政治的な争いというのはつまりは「権力を争う」ということなわけだけど、国際社会のような最高権力がない状態とは違い、国内においては国家権力、つまりは「主権」をめぐる争い、各勢力による国家主権の取り合いというのが政治の歴史ということになるかと思う。国家権力を握った勢力が国家の財源を使って「政策」を実行していくわけで、その財源の配分権、つまり予算を立てる権能が最も重要ということになる。だから「権力主体としての財務省」というものが日本政治においては常にクローズアップされてくるわけなのだけど、本来の政争がそうしたポジション争い、役職なども結局財源の裏付けがなかったら張り子の虎に過ぎないから、予算を立てる権力をめぐって各政党が争うというのが選挙というものの意味だろう。

しかし中には国家権力そのものを弱めることで市民の権利を拡大させたいと考える勢力があり、それは無政府主義=アナキズムであったり完全自由主義=リバタリアニズムと呼ばれる勢力が主である。前者は警察的な意味での国家権力の弱体化を目指し、後者は租税を縮小することでできるだけ小さな政府を目指すという方向性を持っている。前者は日本の弱体化が都合の良い周辺諸国の介入を招く温床になりやすいという問題があり、後者はいわゆる新自由主義として国家の国民福祉への関わりをなるべく限定的なものにしようとする方向性を持つわけである。

後者の動きは日本においては比較的最近のもので、高度成長時代に実現しつつあった福祉国家・高負担社会に対するアンチテーゼ、特に社会的対立の中で既得権を獲得してきた勢力に対する反発ということがあるわけだけど、前者の動きは日本の敗戦後の歴史と関係あるように思う。

敗戦後の日本は、「敗戦」という事実と国土の荒廃によって国家の権威というものが極端に低下したわけだが、政府=国家というものが廃止されることはドイツなどと違って起こらなかった。ただ、国家権力の上に立って国家に指図するGHQという「国家を超えた超権力」が国家主権を相対化する存在として足掛け7年にわたって存在したわけである。この時期に、国家を侮り国家を憎悪するメンタリティの基礎が生まれたように思う。連合国軍総司令部がなくなった後も連合国が衣替えした国際連合を超国家権力のように見なしたり、「日本はアメリカの核戦力に従属していけばいい」みたいな発想が生まれたりするのは、そうした経緯からということがあるのだろう。

これは歴史的に見れば、「悪しき国家権力」の向こうに「幕府を超えた超権力」である「朝廷」が存在する、とか共産党の世界観においても各国家に対する上位存在としてのコミンテルン=ソ連が存在する、みたいな世界観だったりもするかと思う。そういう意味で、日本人の意識の中で必ずしも「至上の権力」は日本国家=日本政府ではなかったりするのが、ややこしい事態を生む一つの契機になってるのではないかという気がする。

ただ、現実にはそういうものは大体において妄想に近いもので、ほとんどの事態は日本の国家権力がどうにかできるものだから、その国家権力自体をどうやったら奪取できるかと考える方が建設的だと思うのだが、多くの野党はそれをせずに幻の超権力が日本政府に天誅を下してくれるのを待っているような感じがして、あまり議論が深まらないのではないかという気もしなくはないわけである。

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「世の不正を正すための弱者の反撃としてのテロリズム」みたいなものについて少し考えようと思ったのだがちょっと時間的余裕がないのでまたの機会にしたい。

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