1.悪夢と整理を整理するノート/ダム崩壊/環境アートと大文字焼/「現代アート投資の教科書」:アートの世界と私たちの周りに起こっていること(06/07 07:37)


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もう一冊並行して読んでるのが「現代アート投資の教科書」なのだが、現代アート、特にコロナ禍での新しいアートの形についての解説はどうも理解を超える部分が多くてまた考えてみなければいけないなとは思っている。というかやはり仮想通貨・ブロックチェーンのあたりから概念自体が理解できない感じになってきていて、そういうものはどうしても意義よりも弊害の方が目についてしまうから、なるべく公平に見るためには意義を理解しないとと思っているのだけれども、今のところよくわかってないところの方が多いまま事態がどんどん進んでいる感じがする。

デジタルアート、NFTアート(デジタルアートの唯一性の保証)、テクノロジーとアートの融合(チームラボなど)、メディアアート(落合陽一など)、チームでの制作(Chim↑Pomなど)、またアートの複製化によるアート所有の大衆化、アートそのものの意義の変化(部屋に飾るためのものだけではない)などなど。

大衆文化のアートへの昇華、これは特にマンガやイラストレーションの展覧会が広く開かれるようになってきていることなどとも関係があるだろう。もっと身近なもの、SNSや動画もアートに昇華されうるかもしれない、という指摘もあるが実際そういうことをやっている人もいるようには思うが、ただこの分野も資本の圧力の方が強いだろうなとは思う。Twitterなどでいろいろやっても経営者が変わってアカウントがバンされたりアルゴリズムが変わったりすると成立しなくなったりもするわけで、プラットフォーム依存はある意味危険だと思う。まあブロックチェーンは開かれた市場でその意味で民主的と言えるのかもしれないが。ただこういうところにも表現規制が出てこない保証はないなとは思う。

今までの現代美術の時代は制作者が作ったコンセプトを鑑賞者が理解してそれを評価する、という流れになっていたわけだけど、制作者が活動をやめると今度は鑑賞者の側の批評によってそれが評価されていく方が強くなっていたけれども、現代ではSNSなどをみていてもわかることだけれども「制作者の意図」よりも「受け取った側の解釈」の方が場を支配することは往々にしてあるわけで、こういう意味での制作者と鑑賞者の相生・相剋関係がどのようになっていくのか、そこに権力や資本力、報道力なども絡んでくるわけで、アートの未来というものがどうなるのかは想像がしにくいなとは思った。

とまあ改めて書いてみると、私などがTwitterでのやりとりなどから感じていることと同じような問題や逆に発展の可能性などはアートの世界にも起こっていることなのだなと思う。そのうちツイートもNFT化されて「元の発言はこちら」と参照される権利が認められたりするのかな、などど考えたりもした。

デジタルアート・NFTアートとして75億円の値段がつけられたBeepleの作品を見に行ったが下のような感じで、うーんこれが75億円か、というのはよくわからないのだが、5000日分を一枚一枚の作品に割ってみたら一枚150万円ということになり、まあアートでそのくらいするのは珍しくはないな、とは思う。もちろん買う人がいるから成立する話なのでこの市場は本当にいつまでもあるのだろうか、という気もしてしまうのだけど。

https://www.beeple-crap.com/everydays?pgid=kdyix8la-endgame_0

まあブログに書くことで少しは理解できた部分もある気はするので、また少しずつ見て行きたい。



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