1.「教養としての世界史」:賛成できるところとできないところ(04/22 12:30)


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二つ目は高校生を含む歴史を学ぶ人たちが対象だと。アクティブラーニングが提唱され、自ら高校生が史料を読んで能動的に理解を深めるための基礎知識として、ということを言ってるのだけど、これはまあ正直言って無理だと思う。そこから身近な歴史を知るということは無益なことではないがとは思う。しかし、たとえばこれは、小学校での理科の授業のように実験や観察が主体になって子どもはみな面白がるけれども、中学に入って理論的な部分が出てくると一気に理科嫌いが増えるというような、そんなことに終わる気がしなくはない。また特に左派系だなと思ったのはいわゆる「歴史修正主義」を否定する文脈での主張があるけれども、歴史の見方が更新されていくこと自体は科学的手法に基づいても行われることで、それをいわば悪いことのように書く(明示的ではないが)のはやはり視点の偏りがあることは明らかだなとは思う。

ただ、歴史を学ぶ者が歴史学とはどういう考え方に基づいてどういう手法を用いるものかを知ること自体は大事なことだとは思うので、ややレベルは高いけれどもそういうことについて知ってほしいという願いは理解はできる。

三つ目は「本書のハードコアの読者」である社会科学において研究を志す人だ、ということで、この本がライトな外観にもかかわらず本当はかなりゴリゴリの本格的入門書を目指していることが分かる。ここでは著者の世界システム論的立場が語られ、読んでいると確かに「世界システム論は割とシンプルな西力東漸論をより構造化し、一般化したもの」であることが理解できるし、そういう意味で「ヨーロッパ中心の学問」に対する「左からのグローバル化」の視点を持って語られているように感じられた。

「右からのグローバル化」は結局は国際巨大資本の世界制覇的な方向性からの新自由主義的ボーダレス路線の正当化が語られるわけだけど、「左からのグローバル化」はむしろ政治的・人権主義的方向から西洋中心で発達してきた学問の脱西洋中心化とか、個人の移動の自由とか西欧世界による非西欧世界の収奪という構造から脱していかに持続可能な発展を実現するか、というような方向性で語られているように思う。

それはまあ美しい夢ではあると思うのだけど、冷戦構造崩壊後の現代世界においてヨーロッパの混迷や中東における危機、中国やロシア、イランなどの非西欧国家の世界進出における人道的価値観の相対化、トランプ主義やイスラム主義の問題など、数限りなくある現代世界における諸問題に十分に対応可能な視点だとは思えないところもある。

私はこの液状化していく世界において、まずは日本という国が格差問題など国自体が抱えている宿痾を解決し、強靭な実体として世界で生き残っていくことがまずはわれわれ日本人が考えるべきことだと思うのだけど、美しい夢は場合によってはそうしたシビアな生存競争の実態を糊塗してしまうことがあり、その辺はちょっと問題ではないかという気はしている。

しかし、立つ立場は違うけれども、歴史学が何か現代社会を考え、動かし、検証していくうえである一定の役割とはたす可能性があるということ自体には賛成できるので、その辺の観点からこの本を読んでいきたいと思っている。


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