2.弥助問題で感じる「歴史学者に祖国はあるか」という問題/ハリス副大統領の「華」(07/23 10:49)


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7月23日(火)晴れ

昨日は午後は休みだが職場に避難して冷房を効かせて仕事をしようと思っていたのだが、つい弥助問題に首を突っ込んでしまってあまり仕事が進まなかった。6時を過ぎてから岡谷に買い物に行って、書店で本を見て河野哲也「アフリカ哲学全史」(ちくま新書、2024)を買い、中古CDのコーナーでハイティング指揮・コンセルトヘボウ管弦楽団の「ショスタコーヴィチ交響曲5番・9番」を買った。その後スーパーに行って夕食の買い物をし、帰ってきたら8時を過ぎていて、夕食後にやろうとしたことは全然できずにそのまま寝てしまった。

朝起きたのは4時ごろで、その後溜まっていた地元紙を読んでメモをつけたり、ハードディスクがいっぱいになっていたので「夜桜さんちの大作戦」をBDにダビングしたり、家の前の道にはみ出した草を刈ったり、ゴミを捨てにいくついでに作業場の漫画雑誌を整理し、ついでに周りの草を刈ったり、車で出かけてコーヒーを買ってきたり、帰ってきて仕事の新しい企画を練ったり、入浴したりしていたらもう9時になった。まあその間にもTwitterを読んだりしているが、まだジャンププラスも「ダンダダン」しか読んでいない。まずご飯を食べないと。

弥助問題はTwitter内部ではある程度理解が浸透してきたと思うのだけど、いまだにまずロックリーの著作を読んで、みたいなところから始めている人もあり、理解してほしいところはそこではないのだけどなあとは思うのだが、今までの国内問題とはかなり性質が違うから同じアプローチでは済まないところがあるということがなかなか理解はされないのだろうなとは思う。

弥助問題については概略二回にわたってnoteを書いたので、未読の方はそちらを参照してもらえるとありがたい。

https://note.com/kous37/n/n240ef8750984

https://note.com/kous37/n/n40681fa6099c

だいたいこれで自分の言いたいことは書いたかなとは思ったのだが、書いた後でこれも重要だなと思うようなこともいろいろ出てきている。

重要なことの一つは、Twitterにも書いたのだが、noteを書いてみて「日本人にとって歴史というものは無意識下にしろ自分の一部としてのナショナルアイデンティティの根源」であるということだ。

だから弥助問題のめちゃくちゃさに多くの人が腹を立てた。歴史学者の方がそれがわかってないしポリコレ意識でむしろ大衆が右翼化したと騒いでいる。史料に基づいて慎重に論を展開していくべき歴史家が「ネトウヨ」などという解像度の低い差別的なレッテル貼りはしてもらいたくないなと思う。その人の歴史学者としての姿勢や能力、史料批判のあり方そのものに疑問を感じてしまう。

アイデンティティ政治の典型は現在ではフェミニズムやトランスジェンダー活動家、ブラックライブズマターの人々ということになるが、彼らは自分たちの思想こそが政治的に正しい(ポリティカル・コレクトネス、略してポリコレ)とし、それに沿わない人々を糾弾してキャンセルカルチャーを仕掛ける。歴史学でもつい最近そういうことが起こったことは記憶に新しい。

しかしこういうやり方の系譜を遡っていけば昨日のnoteに書いたようにドイツ人のアイデンティティを侵害するものとしてユダヤ人や共産主義者を弾圧したナチスのやり方であり、近代日本のナショナルアイデンティティを丸ごと否定しようとした極東軍事裁判や占領政策であったことは確認しておきたい。

この問題はまだまだ議論されているけれども、いろいろと海外の情勢も見ていかないといけなくて、特にこのめいろまさんの連続ツイートは貴重な情報だと思った。

https://x.com/May_Roma/status/1815283817382293514

要はこういうアイデンティティ政治の一環で、企業側もDEI(これは20日のnoteを参照してください)に有利なようにそういうことを推進して、「黒人に勇気を与えるファンタジー」が盛んに生産されることが「政治的に正しい」ということになっていて、それ自体はまあやればいいとは思うが、それに日本の歴史が勝手に利用され、日本の歴史や日本人を悪役に仕立てているとことが問題であるわけだ。

https://x.com/May_Roma/status/1815287956061438305


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