2月3日(金)晴れ
毎日寒い寒いと書いているが、やはり今朝も寒い。マイナス5度だからマシだとは思うが、まあ寒いのは寒い。今日は節分、明日は立春だから季節は春になるところだが、やはり1月下旬から2月上旬が寒さの底ということだろうか。
買ったままあまりちゃんと読んでなかった大高保二郎・川瀬侑介「もっと知りたい ベラスケス 生涯と作品」(東京美術、2018)を読んだのだが、いろいろと面白かった。
ベラスケスが画家としてだけでなく、宮廷人としても成功した人だというのは知っていたが、それにしても忙しかったようで、最後はフェリペ4世の娘・マリア・テレサのルイ14世への輿入れに奔走し、その帰国直後に亡くなっているというのは認識していなかった。
ベラスケスのフルネームはDiego Rodriguez de Silva y Velazquezであって、スペイン語ではファミリーネームは父方y母方と表すので、本来は「シルバ」であるはずだが、母方のベラスケスの方が通用しているのは、父方がポルトガルに出自を持つコンベルソ(改宗ユダヤ人)であることと関係があるのかもしれないな、と思った。
美術史と科学史というのは意識していないとちゃんと結びつかないのだが、ベラスケスとガリレオは同時代の人なのだと知る。実際にローマで会っている可能性もあるようだ。
ベラスケスの描く男性の肖像画というのは実に立派な体躯をしているのだが、昨日書いた「フットボールネーション」で体幹のしっかりしたフィジカルのいい選手たちがたくさん出てきて、なんか見た感じがする絵だなと思っていたけど、考えてみたらこれらベラスケスの肖像画だったなと思う。
ベラスケスの絵画というと「ラス・メニーナス」をはじめとして子供や女性を描いたものが有名である気がするが、男性の肖像画は実に体躯の存在感があるものが多い。肖像画と現代サッカーとか関連性を考えたことはなかったのだが、こういうふうにつながってくるのが勉強というものの面白さだなとは思う。
ベラスケスが亡くなったのは61歳。若い頃から、ガロアの死んだ年を過ぎ、モーツァルトの死んだ年を過ぎ、織田信長の死んだ年さえ過ぎて、ベラスケスの死んだ年に今年はなるのだなあと思う。人として死ぬまでに何かを残していきたいものだと思う。
「修養の日本近代」、146ページあたりまで。エリートにおける修養と教養、また大衆における教養と修養、あるいは大衆における「男らしさ」を称揚するある種の反知性的マッチョイズムみたいなものの台頭など、戦前期までの文化史というか「心性史」みたいなものをもう少し切り込んでみるのも面白いと思ったし、松下幸之助のところも面白い。
いろいろなやることや考えることが多すぎてなかなか読む時間も取れないのだが、少しずつ読んでいきたい。