今ここにいる私として生きること/読むことを楽しみとして

Posted at 10/01/09

昨日。昨日は仕事が比較的暇だったので早く帰れるかと思ったらさにあらず、連絡しようと思っていたのにし忘れていたことに9時半を過ぎて気がついて、それからメールを書いて送ったために結局職場をでるのが10時過ぎになった。家に電話したら誰も出なかったのでどうしたかと思ったらテレビをつけたまま母が寝ていたので電話に気づかなかったらしい。母は少し変な咳が出ているのが困るが、いろいろな検査をしても引っかかるものはないという。金曜日なので報道ステーションの後のニュース番組がなく、早めに入浴、就寝。よく晴れて放射冷却のせいで冷え込みは激しいが、その分星がものすごくきれいだ。

柄谷行人「文体について」を読んでいろいろなことを考えたせいか、朝起きる頃、意識の中で現実の記憶の断片がひとりでに話を進行させていて、さまざまな現実とはちょっと違う現実感を持った空想が一人歩きし、これは現実じゃないな、ということを確認するのに少し手間取る。そういうこと、若い頃はしょっちゅうあったが、最近では珍しい。最近はその中でも、心にひっかかったような心配事を何度となく考えていくうちにすごくマイナスの想像がはびこって怖くなってしまう、みたいなことはあったが、心配事でないことに関してはそういうことはあまりなかった。

6時10分に起床。少し活元運動をし、モーニングページを書く。妄想とか「読み」のことについていろいろ考えているうちに、14ページも書いてしまった。標準3ページなので5日分弱。8時前に朝食。今日明日の動きについて母と段取りを打ち合わせる。母が病院に行って帰ってきた後お寺にお供物を届けることに。その後昼食の準備をしてくれて、母は髪をセットしに行った。明日は父の四十九日の法事。昼食を取ったあと、職場に出た。

***

『小林秀雄をこえて』所収の柄谷行人「文体について」、中上健次「物語の系譜・断章」を読了。これでこの本を全部読了したことになる。買ったときには最後まで読むかどうか疑問を感じていたのだが、実際読んでみたら私とは全然考え方が違うものの、ラジカルに突き詰めた思考をしていて、自分の考え方に光が照射され、それを見直すきっかけを作ってくれた。自分の考え方というものは、自分でわかっているようで、自分でもどこがどうなっているのかよくわからない。少なくとも私はそういう部分が大きかったのだけど、これを読んで自分の考えを検証しなおすことができ、だいぶすっきりした感じになった。自分と同じような考え方の人の本を読んでも自分の考え方をなぞるだけになることが多いし、飽きてしまう。自分と違う考えの人のものを読んで自分を絶えず確かめ直し、どこに感心させられたがどこは違う、という明確な感想を持つことが本当の読書かもしれない、と思った。

もちろん、本当の読書なんて、何が本当かといえば、そう言うことがすべてということもないだろう。しかし、違う意見の人が読んでも得るものがある、という本を書くのは本当はけっこう大変なことだし、最近はなかなかそういうものに出会わない。この本ももう30年前の本だ。

30年前の私がこの本を読んでいたらどうだっただろうかと考えてみると、まあ多分何もわからなかっただろう。小林秀雄自体を全然読んでないし。小林なんて当時は「入試に出題されやすい作家」以上のものではなかった。白洲正子の著作に偶然であったのが忘れもしない、神保町の古本屋で見た『名人は危うきに遊ぶ』だったのだが、あれはもう90年代の後半で、白洲さんももう亡くなっていた。白洲の本を耽読する中で小林秀雄の存在を再認識し、読むようになったのだからもう99年ごろだったと思う。白洲を読んでから小林を読むと白洲から見た小林像というのが投影されるので、補助線が一つあって何もないよりだいぶ読みやすい。何を書いているのかはずいぶん難しい人だと思ったけれども、何かの価値について批判的にではなく肯定的に語るスタンスに好感を持った。2005~6年ごろ、『モオツァルト』や『本居宣長』について自分なりの「書評」を書いたりしているが、(『モオツァルト』について・『本居宣長』について)今読み直してみるとバランスが取れていない、というのは「小林秀雄に対する批評」をちゃんと読んでないから、小林の批判者たちに対する見方があまりにも一方的になっている。ある意味、この時期は自分の思想の核になるものを形成しようとしていた時期なので、小林からできるだけ多くのものを吸収するということに急になりすぎていたなと思う。

だから、4、5年前の私だったらこの『小林秀雄をこえて』という題の本を手に取ろうとは思わなかっただろう。今だからようやく読めるようになった。読んで得るべきものをたくさん獲得することが出来たのだと思う。

それは、自分の中で小林の存在が相当相対化されたということもある。また、左翼的な批評も勢いを失っている中で、柄谷行人が自らを左翼だと断言しつづける潔さにある種の好感を持っているということもあるし、46で亡くなった(今の私より若いのだ、驚くべきことに)中上健次がいまだに幅広く支持されているということもあって、この人たちのことを知ってみたいと思ったこともあった。本を読むということ、本との出会いというものは全く運命的なことだ、と思った。

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ところで、私はその一回性の出会いを「運命的な」と表現したが、批評から、すなわち世界の解釈から全ての形而上学を排除しようという柄谷は、そういう言い方を認めないだろう。歴史の一回性を、それゆえに価値のある必然と思い込むことによって大東亜戦争が悲劇になった、と柄谷は指摘している。

6日の日記にも書いたが、全てを科学的=非形而上学的な概念と用語で説明し尽くそうとする唯物論者である柄谷は、全ての存在が行き着くであろう根本的な問い、「なぜ私は、今、ここにいる、ほかならぬこの私なのか」という問いについての説明を、それが「歴史」であることによる、と説明している。この私が生まれたのはある精細胞とある卵細胞がたまたま結合した、その偶然の産物に過ぎない、という論理でその問いかけ自体から形而上性を排除しようとする。しかし、その偶然は、なぜその精子とその卵子が出会ったのか、という理由を説明することが出来ない。同じように、何十億人も人間がいる中でなぜ私はほかならぬこの私として生まれ、生きているのか、という事実を、科学的に説明できる人は誰もいない。それを柄谷は、全ての歴史が偶然に起こった事件によって成り立っているように、この私という存在も歴史上の「事件」なのだ、と説明する。

まあこの説明は何かを言っているようで何も言ってないように思うけれども、それではなぜほかならぬこの私が今ここにいる私なのか、ということについて自分はどう考えるのだろう、と考えてみたら、私に浮かんだのは形而上的な回答ばかりだったので自分でもおかしかった。

一番いいなというかありそうだなというか説得力をもちそうな説明が、ほかならぬこの私が、今ここにいる私として生きるという「使命」を持って存在しているのだ、というもの。これは普通に通用するというか、言えばそれなりにみんな納得してくれるような気がする。ということを考えてみて、実は「使命」という言葉が、普通に使っていたけれども、実に形而上的な言葉なのだということに今さらながら気がついた。

「五十にして天命を知る」、と孔子も言っているが、使命という概念の背後にはそれを与えた天とか神の存在がある。それは、「容疑者Aを逮捕することが君の使命だ」みたいな使い方もあるが、任務だ、というより使命だ、といったほうが高級感があるし、すごいことを頼まれたような気がするだろう。まさに「使命感」を持てる。「使命感」があるから頑張れる、ということは人にはたくさんあるわけで、実際、使命感を支えに生きている人って現代の世の中にはたくさんいると思う。だからこそそういう説明が説得力をもちえるのだと思う。

それがいいことかどうか、というのは少し別の問題だな、と思うけれども。ただその問題に深入りすると話がずれるので、このくらいにしておこう。

他の説明を考えてみると、ほかならぬこの私として生まれた、ということは「かけがえのないこと」だから、そのことを面白がり、楽しんで生きるといいよ、というもの。ここにはアイデンティティ論成立の根拠が現れる。ほかならぬこの私がほかならぬ日本に生まれたことはかけがえのないことだから日本を大事にしなければならない、という。「かけがえのない地球」というフレーズも、アイデンティティを地球全体に膨らまそうというだけで、あまり変わらない。そのアイデンティティの表出がエコロジカルなものになるという特徴はあるが。

まあ使命とかアイデンティティとかそういう形而上性が「なぜ私は、今・ここにいる、ほかならぬこの私なのか」という問いかけに由来する、ということを今さらながら認識させられたということが、この本を読んで得たもののもっとも大きなものの一つだ、といったら柄谷も中上も怒りそうだが、まあそうなんだから仕方がない。しかしこのテーマ、考え出すと全ての創造性の源泉でもあることがどんどん認識されてくる。もし私が私でなかったら、という想像から書かれた小説や物語は無限にあるだろうし、私が私であることの意味がどれだけ重要であるのかとか、サイバー時代、バーチャル時代ならではの問いかけも発出しうる。私が今朝、寝床の中で想像力というか妄想力が走り出していたのも、そう言う問いかけを頭の中に残していたからであることは間違いない。

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だいぶ長くなった。いま、朝書いた14ページのモーニングページを読み返してみると、面白いことがたくさん書いてあって、それらについてそれぞれいろいろ書いてみたいことがあるのだけど、とりあえず一つだけここに書いておこうと思う。ほぼ原文どおり。

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子どものころ、現実の世界は、私の読み方では(誤読がたくさんあったとは思うが)ワンダーランドだった。その現実を読みつづけるのが私の楽しみだったのに、それがどんどん看板を降ろしてシャッター銀座になってきている。

現実を読もうとしても、穴蔵に入った小ネズミたちの群れか、コンピューター画面で展開するゲームのストーリーのようなものしか見えない。

現実はどこに行ってしまったのだろう?

伝統的なもの、茶道にのっとってお茶を飲んだりして安心するのは、そこに現実=保守的な世界があるからだ。柄谷の指摘するように、それは「200年前の流行に過ぎない」のかもしれない。(柄谷は、保守派の言う伝統はたかだか200年前には最新流行だった、と指摘している)しかしその200年の時間を感じること自体に意味があるのだと思う。個人の時間では、10年でも、十分に現実であり、そこに保守の根拠がある、と思う。その重みは、忘れない方がいい。

………

ただ、私の「楽しみ」の源泉は、やはり「読む」というところにあるんだな、と思う。感じる、ということも含めて。誤読ということも含めて。(小学生のころ、私は「ベニスの商人」に出てくる「ほうがく博士」を「方角博士」だと思っていた。魔術師の一種だと思っていたのだ)

・世界を「読む」ことを「楽しみ」として生きていきたい。
・何を「読む」かを決めるのは自分だ。

***

読むことを楽しみとして生きていく、ということは、読むことにとどまらない。深く読むためには、書かなければならない、ということは最近とみに認識している。書くというのはノートを取るということでもあるし、理解したことに対しての自分の感想を書いたり、わかったこと、発見したことについて書くことでもある。それをそのままにしてしまったらそのままだが、それをある程度はまとまった文章にしてみると、より理解が進む。読むためには書かなければならない。読む楽しみを味わうためには書かなければならないが、私は書くことも楽しいので、それを組み合わせられたらとても楽しい。またそれを誰にも読んでもらえなかったらやはりモチベーションが上がらないが、誰かに読んでもらえると書く気になるし、またそれに連動して読む気もまた起こる。楽しいことも楽しいだけではないので大変なこともあるから、モチベーションが上がる仕掛けはあったほうがいい。そういう意味で、ウェブ日記とかブログというメディアは私にはとても向いている。もちろん、それがお金になる文章であればもっとありがたいのだが、そうなればまたそれで制約も出てくるということもある。いずれにしても、もし文章がお金になるようになったとしても、私はそれとは別にブログを書きつづけるだろうなと思う。ツイッターも続けるとは思うけど。

でも実際、売れる売れないに関わらず、活字メディアにも自分の文章を掲載してみたいと思う。そうしたらウェブに縁のない人にでも読んでもらえるから。しばらく休んでいたけれども、なるべく遠くないうちに、まずは投稿からでも、しようと思う。

***

最近いつもそうなのだけど、文章を書いた後でなんという題名で更新しようか迷う。「今ここにいる私として生きること/読むことを楽しみとして」というふうにでもつけてみようか。一応中身にあってるとは思うが、題名から中身を想像することは難しいだろうけど。

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