6.漠然とした警戒感:科学主義的ナチスドイツとデジタル中国(01/20 08:27)


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漠然とした警戒感:科学主義ナチスドイツとデジタル中国

昨日は自分の政治・経済的思想が政治的には保守、経済的には財政拡大主義的なものである、ということを書き、なぜそうなのかということを書いたのだけど、経済に関してはリストラ主義・「無駄をなくす」というネオリベラリズムへの反発、アンチということが大きいということを書いた。

つまり、人の思想形成というのはポジティブな面から、これが大事だから大事にする思想を持つ、という面がある一方で、あるものを体験してそれが良くないからそれを否定する、そうでない思想を求めるというネガティブな面からの形成というものがあるということなのだけど、昨日は特に経済の方については現在のネオリベラリズム的な基調に対して強いネガティブな考え方を持っているということについては書いたわけだ。

積極財政的な、つまりケインジアン的な政策は「改革」が主流になった頃からアウトオブデートな思想だと切り捨てられて来たわけだけど、実際には欧米では臨機応変に用いられていて、日本は頑なに緊縮政策を続けているので馬鹿げた一点豪華主義みたいな感じで財政が出動していてバランスが悪いと思うのだが、何しろ財務省設置法に財政規律が明記されているのでとにかくこれを変えない限りは日本の不幸な状態は続くと思う。

ケインジアンよりももっと実験的な、MMTという政策も提唱されていて、これもやってみないとわからないが、限定的な実験をしてみたら実は結構効果が上がるのではないかと思う。バイデン政権になって大規模な財政出動がほぼ確定的だからバブル状態になり、米ドルが下落すればその分日本円が上がるわけで、そこで日本でも財政出動を行わなければもっと円高は進み、日本経済がより厳しくなるだろう。そこは特に、生活に困窮している人たちに届くような給付金政策が有効だと思うが、そのほかにも今まで削られて来た社会基盤・文化基盤的なものの強化に使っていくべきだと思う。

経済面では割とそういう方面から、ネガティブな意味での思想形成の契機がはっきりしていたのだけど、政治面での保守というのがなぜ保守なのか、というところで、こういうネガがあったから保守なんだ、ということをあまりはっきり書いてなかった、というか自分の中ではっきりしていないところがあったなと思う。

これも昨日書いたからこそおそらく気づいたことなのだが、自分は設計主義的な社会思想、共産主義や社会主義、あるいはコミューン主義というものについては非常にネガティブに考えている。だから、「設計主義でない」という意味で保守主義、漸進主義を支持している、ということになる。これは自分の体験に基づく部分がかなりあるのだが、この辺りはまだ整理できてないところがあるから、書きにくいのだなと思った。

何か社会を変えようという理想を持つということは、その理想に沿って社会像を描いていくわけで、その時にはこういう社会が素晴らしい、たとえばフェミニズムであれば女性が男性に負けずに社会で生き生きと活躍できる社会をつくりたいという理想像があって、そのためにこうでなければならないという社会を実際的に設計していくわけで、たとえば女性の政治家は男性と同数でなければならないとか、まずそういう設計から始めるわけだ。

しかし日本の社会風土を実際に考慮した設計ではないから、これはおそらく中国の大躍進政策や北朝鮮の「米を大量に収穫するためには苗を密集して植えればいいと首領が指導した」ことに基づいて行われた農業政策と同様、このままではうまくいかないだろう。ザインとゾルレンでいえばゾルレンのみが突出した成熟しない行き方で、大躍進政策で1000万人以上が餓死したと言われたような無惨な破壊が日本社会にももたらされる可能性はあると思う。(まあそれ以前に、実際には実施されずに終わるような気がするけれども)



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