5419.イギリスの風景/『日露戦争史』/『国家の自縛』/「動法と内観的身体」(10/12 10:20)


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しかし「神皇正統記」が日本の思想の根幹を明らかにしていると言う主張は思ったより納得できた。北畠親房は「大日本者神国也」と言う言葉で全てを説明していると言い、「神国とは自己を掘り下げる内在性の中に超越性があり、自己の原理を他者に押し付けない国家で、道義性において他国から一目置かれることを目指す国家であると。」と説明している。つまり、「寛容の精神、合理的精神で自己の文化を発展させ、他の世界もちゃんと理解するようなことは、異朝にその類を見ない。われわれが誇れるものはそういった寛容の精神」であり、それこそが「日本の国体」なんだというわけである。

確かにわれわれはそういうことを当たり前だと思っているが、そういうことをやっている国民がほかにあるかというとそんなにはない、と思う。『神皇正統記』は古文でも読みやすい本だし「神国論」などというと国学的なうわぁあどろどろ、みたいな印象があるが全然そういう本ではないということは以前から知っていた。しかし、そういう取り出し方をされてみるとなるほどなと思う。物を見る視点と言うのはどうしても一人の人間では限られてしまうから、こういう指摘は非常に刺激的だ。

小淵沢を過ぎたころに読了し、野口裕之「動法と内観的身体」に取りかかる。これは衝撃的な論文だ。身体教育研究所のサイトにこの論文だけがアップされていると言うのは急所を突いた配慮である。この論文には野口氏の思想やスタンスの全体像がなんの虚飾もなく書かれている。日本人の伝統芸能や過去の人々の日常動作の共通した基盤となっている動きを「動法」と名づけ、その原理の追求と稽古法を開発する、という最初の言を見るだけですごいことをやっているのだなとからだの芯に共鳴するようなことばの響きを感じた。
具体的には両手両足の小指が体の動きの軸になるとか、左手の親指を曲げずに茶碗を持つと腰が入るとか、そういう指摘そのものも驚きに満ちた新鮮さがある。こういうことをこういう書き方をしてどのくらい読む人に伝わるのかはわからないが、少なくとも自分自身の心覚えとしては残しておきたい。

午後から夜は仕事。ラテン語は少しだけ進んだ。

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