5040.小野田さんと靖国/ジャスコ岡田を見た/久しぶりに靖国神社に参拝(06/27 11:19)


< ページ移動: 1 2 >

自分にとって、とにかく「書く」ということが大事らしい。「書く」といってもキーボードを叩いているのであるが。ただ叩くより、おそらくは万年筆ノートに、あるいは毛筆で半紙に、あるいは鉛筆で裏紙に書き付けるほうがより「書く」という行為に近いのだろうけど、現在のところ、「書く」ということの最終段階、すなわち清書はどうしてもキーボードを叩くことになってしまう。自分がキーボードを叩かなくても人の目に触れる文章を書けるようになるといいのだが、書くスピード、修正する手間のことなどを考えると、結局この「叩く」という作業から完全に逃れることは難しいだろうと思う。というのは、今朝いろいろなことを書きながら感じたことである。

昨日は、とにかくきっかけをつかむつもりで出かけ、新橋の書原に行ってみる。場所がよくわからず、炎天下を迷った後、見つけたが閉まっていた。日曜日のオフィス街だし、半分は織り込み済みなのだが。新橋の駅に戻り、尾道ラーメンというのを食べてみる。店の中が少々独特の臭いがして、自分の趣味とは言いがたい。やはり私の味覚は東日本系なのかなあと思ったり。食事後、銀座を彷徨いまず福家書店へ。どうもぴんとくるものなし。教文館に歩く。いろいろ探したあと、結局『Will』8月号を買い、6階の喫茶室へ直行。漆喰の壁が落ち着く。客も少ない。こういう場所が好きなのだけれど、都心で客が少ない憩いの場所の『花の命』が短いことが多い。何とか維持していただきたいものだと思う。

『Will』では渡辺昇一の講和条約論は面白かったが、一番興味を引かれたのが小野田寛郎氏の「わが心の靖国」であった。生死不明のままルバング島で戦い続けた小野田氏は15年間靖国神社に祭られていた、という話がリアルである。彼は帰国したとき田中内閣から見舞金をもらい、全国からの見舞金も多くもらったが、それらを一括して靖国神社に寄付したのだそうだ。目の前で多くの戦友に死なれ、あるいは傷病兵に自決を迫らざるを得なかった小野田氏にとっては、せめてもの鎮魂の行為だっただろう。

しかしそれがマスコミに軍国主義に加担する行為と叩かれ、何十年もそのために戦い続けた『祖国』に嫌気がさして、ブラジルへ渡ったのである。その心中は察するに余りある。

< ページ移動: 1 2 >

5040/5070

コメント投稿
次の記事へ >
< 前の記事へ
一覧へ戻る

Powered by
MT4i v2.21