5013.日向神話/『神秘家列伝』/李登輝前台湾総統と聖書(07/10 15:49)


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神秘家列伝に取り上げられているのは弐が安倍晴明、長南年恵、コナン・ドイル、宮武外骨で、参が出口王仁三郎、役小角、井上円了、平田篤胤である。イギリスのスピリチュアリズムの祖・ドイルを除いてはみな日本人で、壱に比べると人選が普通化してはいるが、長南年恵という人は全然知らなかったのでちょっと面白かった。井上円了はあの哲学堂を作った人だと知ってある意味すごいと思ったが、彼自身はむしろ反神秘家であって、ちょっと謎である。しかしマルクス主義に熱心に反論する人が実はものすごくマルクスの著作を読み込んでいたりするのと同様、妖怪変化などを非常によく研究しているところが水木氏が面白いと思ったのだろう。そのほかの人もあまり知らない部分が多かったので、読んでいて非常に面白かった。しかし宮武外骨は人間としては面白いが全然神秘的なところと関係ないのになぜ取り上げているのか少々不思議であった。

少し前に読んでいた美輪明宏と瀬戸内寂聴の対談もこういう目に見えないものの世界を扱っていたし、なぜ最近こういうものを読むんだろうと思ってみたが、それは久しぶりにナルニアを全部読み返したからかもしれないと思った。目に見えない大事なものを感じる力、ということについて考えているからかもしれない。実際世界は、イスラム教にしろキリスト教にしろ、われわれにとってはわかりにくい、目に見えないもののレベルで動いているところが多分にある。われわれはわれわれ自身の中にあるそういうものの世界に無関心でいるけれども、そういうものにある程度関心がなければ、世界で起こっていることに深いレベルでの理解をすることも実は不可能なのではないかということも思う。

今朝テレビ埼玉を見ていたら偶然台湾の李登輝前総統が「キリストの幕屋」という宗教団体の提供している番組に出て語っていて、自分が総統だった時代にどんな苦労があったか、それをどのように解決していったかというようなことについて語っていた。著作やあるいは対談本などで何度も李氏の発言については触れていたが、テレビで喋っているところを見るのは初めてだった。彼は本当にニヒリズムというものが巣食っていない情熱的な老政治家だと改めて目を見開かされたが、彼は困難な状況に陥ると、夫人と二人で聖書を開き、ぱっと開けたページのぱっと指差したところを熟読して、そこからヒントを得る、というようなことをよくやったといっていた。

これは実際よくわかる。彼は聖書を人生の指針としている、ということの現れであるが、聖書でなくてもこれは応用が可能だろう。私もよく易を立てるが、易で出た文句を熟読することによってそこからヒントを得る、ということにおいて構造は同じである。易の方が手続きが複雑だから神秘的な装いがあるだけで、いずれ信頼できる人生の指針のようなことに満ちた本であれば、別にカントのページを開いてえいっと指差してみてもいいのだし、場合によってはレーニン全集でえいっとやっても同じことだろう。ある状況にあってある文章を読むということは、何のバイアスもない余裕のある状態で何かを読むときとは根本的に違っている。そこである指針を見出すことに、実はそんなに神秘性はないのではないかという気がする。場合によっては広辞苑を開いてえいっとやったって同じことである。


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