4907.失われた十年/いわゆる靖国問題とまだ見ぬ日本流サッカー(08/17 09:31)


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特急の中はほとんど家族連れ。騒いでいる子どもが多かったせいか、座席についたら隣のおじさんが自由席の方に引っ越してしまった。そのため混雑にもかかわらず二席を自由に使えてお得だった。子どもはうるさかったが、アンジェラを聞いたり本を読んでたり寝ていたりしていたらあまり気にならなかった。

集まりの席上では田中康夫落選の話など。私の周辺には反田中の人が多いので、みな大いに溜飲を下げて舌も滑らかだった。逆にいえばこの6年間は実に重苦しかったとも言える。地方において知事の存在というのはとても大きなものだ。そのあといわゆる靖国問題についていろいろ話が出たが、この問題はどうしても平行線になる。私の田舎は議論好きの人が多い土地柄だが、結局善悪論になってしまうと絶対に議論が収束するようなものではない。若輩者としては右的意見も左的意見も気に入らないが身内だとしがらみ的関係が絡んでくるので上手く議論は展開できず、「どっちにしてもそんな単純なものではない」と言明して無理やり終わらせた。

うちに帰ってきて義弟といろいろ話をしたり、送り火を焚いたり。夜はサッカーを途中から見た。阿部のゴールも佐藤のゴールも見たが、なかなか良かった。しかし、「引いて守る」相手に対する対処の仕方はオシムがいうように確かにまだいろいろあり得るだろう。昨日は全体的に空回り的だったので苦戦に見えたが、イェメンの選手がみな痙攣を起こしていたりして結局そういうところにレベルの違いが出るんだろうなあと思った。

夜自室に戻ってネットをいろいろ見る。いわゆる靖国問題に関連していろいろな人のいろいろな意見を読む。最大公約数的な賛成反対がほとんどだが、ときどき面白いもの、引っかかったものも。まず第一に靖国問題を騒ぎすぎだ、という意見には全く賛成。NHK及び民放各社がそれぞれヘリを出して首相公邸から靖国神社までずっと車列を映しつづけていたのは「馬鹿じゃないの」と思った。もっと他に公共の電波で報道すべきものがあるんじゃないだろうか。この問題、何でこんなに盛り上がっているのかいまいちよくわからないが、年中行事好きの日本人の夏の風物詩として定着しつつあるんだろうか。これに関してはつくづく就任一年目の13日参拝という中途半端さが後を引いていると思う。一年目からガッとやっておけば、それが「現状」になったわけだから、そこから議論が始まったはずだ。この問題に関しては、日本側が分祀その他どのような姑息な手段で批判を回避しようとしたところで、全く無意味だ。中国はすでにBC級についても問題にしようとしているし、韓国も参拝の形式その他でなく歴史認識そのものを問題にすると明言している。彼らの立場からすればそうに決まっているわけで、この問題については「譲歩」など無意味である。オール・オア・ナッシングしか成り立たない問題である。

竹島を侵略している韓国や、東シナ海の大陸棚で不法な開発を続け、チベットや東トルキスタンで極端な人権蹂躙を続けている中国が、神社への参拝などという非物理的な行為に非難をぶつけるのは、全く侵略的な行為など微塵もない現代日本に対し有利な立場に立とうとして言うに事欠いてやっていることに過ぎない。それに同調する勢力が日本国内にあるから盛り上がっているように見えるだけだ。

この問題について現時点で感じたこと、考えたことを少しまとめておく。まず、特に反対派の議論に私には目に付いたことだが、思想の違いを「認識不足」「学習不足」と言い換える非難が目立つように思う。自らのイデオロギーに反する意見を「勉強不足」と意味転換をして攻撃するのはいわゆる知識人がよくやることだが、これはやはり傲慢な態度であると思う。この問題は、スキームのとらえ方自体が賛成者・反対者によって明らかに異なっているのだから、それを学習程度の違いの問題に転換して攻撃するのは妥当ではない。キリスト教徒が仏教徒を「唯一神の信仰を持たない彼らは野蛮だ」という傲慢さ、あるいは無知と同じである。これはもちろん賛成派の議論の中にも見られる。そのあたりに関しては内田樹氏の指摘が右にも左にも当てはまる。学習障害に喩えるのはPC的に問題がないとは思わないが。私はこのあたりに関しては強いPC感覚を持っていることを今回のさまざまな議論を読みながら自覚した。


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