「民主主義」と「日本らしさ」というのは前にも述べたがどこかで必ず相容れないところが出てくる。日本の戦後民主主義は基本的には「日本国憲法」を教条とし聖典とするものだが、「日本国憲法」が「日本的(封建的と米側が考えた多くのものを含む)」なものを抹殺しようとした占領政策の総仕上げとして制定されていることは客観的(つまり議論の当事者としてでなく)に見ても正しいのではないかと思う。そしてそういうものとして「国際社会」にも受け入れられたのではないか。そうなると、日本人自らが救い出さなければ、「日本的なもの」というのは死滅していくしかない運命にあるのだと思う。それがもし「民主主義」というものと抵触することがあるとしても、そのときは私は「日本的なもの」の側に立ちたいと思う。翻訳された憲法が公布されて60年だが、「日本」はそれより遙かに長い期間存在し続けてきたのだから。伝統を失った国は、国として存続することは難しい。先にも言ったが、現代社会に生きる以上、極力民主主義の倫理に従うことは義務だということを前提にした上でそう思う。
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