4905.靖国「問題」再論:「民主主義の倫理」と「声にならない叫び」/加藤氏宅放火は極めて「現代的」な事件(08/19 03:07)


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民主主義とは論理の戦いだから、言葉を、つまり論理をうまく使えない人間にはかなり不利な制度であることは議論する際に重々自覚すべきことだと思う。日本社会というものは基本的に近代的な意味での論理に頼って成立してきてはいないから、「民主主義」と「日本的なもの」との齟齬が完全になくなることはありえない。口の立つ人間には何でも許されるアメリカ的な社会はそういう意味では民主主義の典型だが、そのようには日本社会をしたくないと考える人は多いだろう。私もそう思う。

ただ、現代世界の主戦場が言論の戦いである以上、あえて論理による戦いを引き受けなければならない人間が一定数存在する必要があるのは確かである。もし「教養人」とか「知識人」とかが存在するのだとしたら、そういう義務が「彼ら」にはある。しかしすべての日本人にそれが強要できるかといえば、ちょっと難しいんじゃないかなと思う。北朝鮮による拉致被害者の家族を見ていて感動するのは、明らかに「庶民」といわれる層にある人たちが、懸命にその義務を引き受けているところにあるのだ。それに答える心意気がなければ、「知識人」や「教養人」である価値がない。

なんだか遠回りしたように思われるだろうが、つまりうさたろうさんのいう「B層」の中にはただ単に「未熟」である人たちもずいぶん含まれているのではないかと思うということになろうか。もちろん未熟だから許されるというものではないのも当然だし、未熟な言説が未熟なまま突っ走ると70年過ぎの多くのセクトのような無残なことになりかねない。このあたりの受け止め方は微妙なものがあるのだけど、私にはそういう声にならない叫びのようなものも受け止めたいという気持ちがあるということは書いておこうと思う。うさたろうさんもおそらくは、ほかの方面での「声にならない叫び」を受け止めたいという気持ちはお持ちのことと思う。

「思想の違いを勉強不足という表現にすり替えるのは不当だ」という私の主張について。上記のような対象に限定して言えば、確かに勉強不足の人間が多いことは事実だ。ただその指摘が彼らの耳に届くかといえばまず無理だろうと思う。まあそれはともかく、そういうすり替えをあまりに多く目撃してきたので、私自身うんざりしているのだ。逆に言えば、そういうすり替えがあまりに多いために、そういう人たちが聞く耳を持たなくなっているという面もあるのではないかという気がする。最近丸山真男の『日本の思想』を読んだのだが、これを読んで感動したのは、議論において丸山がそういうすり替えをせず、思想の違う人間の指摘や攻撃に対しても真摯に対応しているところなのだ。いつのころからかそういう悪習が常態化してしまったために、日本の言論はお互いに言いっぱなしで発展性もゼロ、共通の規範作りも全くなされないという体のものになってしまった。

まあうさたろうさんが指摘される人々に対し相当うんざりし怒っておられるのもまあ理解は出来るのだが。

「戦前回帰」について。うさたろうさんは「そうした「国士」や「義士」の“行動”を否定し、あくまで言論に依るべきだというのが民主主義社会の原則であって、現代の日本ではそれは尊重されているが、戦前の日本で必ずしもその原則が尊重されていたとは思えない。」と書かれているが、それに関しては異論がある。「極左暴力集団」と日本共産党も言うように、「革命」を唱える人々が暴力的であるのは事実で、「白色テロル」が目立つ局面ではあるが、「赤色テロル」は決してなくなってはいないし、「つくる会」が放火されたり教科書採択の際に教育委員個人に対して相当激烈な個人攻撃(「お前の孫がどうなってもいいのか」というような)がなされたことは事実で、99パーセント採択が決まっていた地域がそれでひっくり返った例もあった。加藤氏放火犯の行動の卑劣さは彼個人が右翼団体の構成員であるかどうかに関わらず、戦前の「義士」的ではなく、「作る会」放火犯の卑劣さに等しい。あるいはうさたろうさんの指摘する人々の未熟さ、卑劣さと同系統といってもいい。私はこれは極めて「現代的」な事件であり、これをもって「戦前回帰」と称するのは「戦前」の名誉のために断固として否定したいと思う。(だからといって全面的に「戦前」を肯定しようとしているわけではない。人間が生きている時代なのだから、どの時代だって不十分なのだ。ただ、「戦前」が「現代」より「よい部分」だってあったと私はおもうし、どんな時代からも学ぶ姿勢は持つべきなのだと思う。)

「なんとなくそうした“行動”が肯定され、地域のなかにも男女問わず“義挙”を賛美する風潮が強まっていく」と書いておられるが、今回の行動は何度も書いたがばかげているし卑劣であり、まともな人間でそんなものに肯定的なコメントを公式に出す人間があろうとは思えない。ネットの魔窟以外でそんなコメントがあったのだろうか。もしそうなら30年代云々ではなく、2006年が魔窟なのだと思う。

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