どちらにしても、「日本をよい国にしよう」というアピールにおいて、今のところ保守の側の方が成功していることは事実だし、左翼の側もそれを正直に認めて、その矛盾を突くだけでなく、左翼的な観点からの「日本をよい国にしよう」というアピールをもっと練り上げて訴えていかなければならないのだと思う。ブレア労働党政権が「クール・ブリタニア」を訴えて成功した例もあり、それは不可能なことではないと思う。ヨーロッパにおいてこれだけ社会民主党勢力が力を持っているのに、日本ではこのような惨状を示しているということは、やはり左翼勢力内部の問題であることは絶対に自覚する必要がある。私は左翼勢力に与する気はないが、「健全な野党」としての社会民主主義勢力はあってしかるべきだと思うし、もし日本の保守が堕落している部分があるとしたらそういうものの欠落に由来しているのだと思う。
「小泉が内容のない言説で馬鹿な大衆を操っている」、といくら言ったところで大衆がついてくるはずがないではないか。ブレアがやったように、左翼自身の構造改革、意識改革が必要なのだ。
戦前に対する評価の対立は、まあ予想したことでもあるし、これ以上あまり書いても仕方がないと思うので多くは書かないが、考えるべきは「なぜ政府による言論統制が成功したか」という認識の問題だと思う。有体に言えば、「国民が支持したから」成功したのだ。いわゆる知識人たちの言説が現実と相当遊離していたのが大きな問題だろう。昭和10年前後の「文芸復興」というのは共産党壊滅によるプロレタリア文学の低潮化に伴って文学者が政治に縛られずに自由にものを書けるようになった、という安堵感の表れといってよいと思う。戦時色が濃くなるにつれて非常時であるという理由から言論統制が行われているが、これは別に日本だけのことではない。アメリカ議会で真珠湾攻撃の後、たった一人で宣戦布告の決議に反対したジャネット・ランキンに対して強い圧力がかけられたように、世界中どこでもそういうことはある。もちろんそれも程度問題ではあるが。
私としては、一概に「戦前=悪」と決め付ける硬直した思考ではなく、そこにどこか取るべき所はないか、現代がそんなに素晴らしい時代なのか、ということを読む方に逆説的に考えてもらうきっかけになればそれで十分である。
靖国神社に対する認識の違いももちろん予想通りなのであまり書いても仕方がない。私は観念上の議論というよりも、現実の靖国神社によくおまいりに行くので、そこで感じたことを元に書いている。もちろん靖国神社がある意図を持って作られた近代的な神社であることは間違いない。近代というのは「日本国民」自体を創設した時代なのだから、その必要によって「新たな伝統」として創出された神社であることはその通りである。中国や韓国が靖国神社の存在そのものに(いわゆるA級戦犯の合祀に関わらず)反対なのは、近代日本の存在そのものを否定しようとしているからである。それに付き合ってやる義理はない。明治維新そのものを否定し、徳川政権復活を願うなら話は違うかもしれないが。
まあそういう枠組的な話に行くとまた面倒なのでやめるが、その結果靖国神社が全国から参拝者を集め、慰霊の地になっているという現実が大事なのであって、あののんびりとした、北海道から沖縄までの方言が飛び交うゆったりとした雰囲気はほかに替えがたい物がある。日本には近代国家というものが必要であったのであって、そのために倒れた人々が確かにここに鎮まっているという、その感覚そのものが貴重なのだと思う。多分それは、行事のない時期に一週間連続して参拝し、境内を無目的的にぶらぶらすれば言いたい感じは分かっていただけると思う。いや、別にそうしろという訳ではない。
私が育った環境とうさたろうさんの育った環境というのは、似ている面もあれば似ていない面もあるという感じかな。今回伊賀伊勢に旅行してみて、あの地方は私の郷里の長野県に比べて、確かに保守的であるということは強く感じた。その地で小学校から高校まで育ったということが、私自身の自然な保守的な感覚のバックボーンになっているのではないかと感じたものである。高校3年のときに長野県に転校し、そこでは回りが相当進歩的・社会科学的な考えを持つ人が教師生徒を問わず多くて、ずいぶんモダンな感じがしたものだ。大学で東京に出てきても実際にゆるいけれどもセクト的な活動をしている人たちとも多く友達になったりしたので、左翼的な思想を面白がったりしていた時期も結構長い。
だから私にとっては現在の考え方は自覚的な保守回帰なのだと思うし、うさたろうさんもまた自覚的に現在の考え方を身につけられたのだと思う。相手の手の内がある程度わからないとこういう議論はあまり意味のあるものにならないが、表面的な意見のぶつけ合いに留まらずある程度咀嚼しながら議論できたのはよかったと思う。
なんというか、私としては、やはり日本がもっともっとよい国になってくれればいい。そのための議論であるならば、多少腹が痛くなっても頑張りたいと思う。