昨日は調子を崩し、これということもしないまま一日が過ぎていった。暑い暑い一日。調子がいいときはこういう日も割りと簡単に乗り切れるのだが、調子の悪いときには辛い。そういう意味では、この調子の悪さも夏バテの一種なのかもしれない。短い夏だが、まだしばらくこういう気候は続くだろう。
靖国「問題」から加藤氏宅放火問題。今日の日曜朝の番組をちらちら見ていても、なんだかあまり本質的な議論に踏み込まず、単なる政争のネタに陥れられていて、全然見る気がしなかった。小泉首相・安倍官房長官は「夏休み」ということでほとんど表に出てこず、小沢・加藤・谷垣といった脇役の人たちがちょこちょこ言いたいことを言っているという感じだが、どれもこれも迫力なし。麻生外相も、この際一気にモスクワに飛んでプーチンに漁船乗組員帰還を申し入れるくらいのことをしたら気合が入るだろうに。山中さんも国後まで行ったのに漁船員に事情聴取をしなかった(したけど伏せているのかもしれないが)のはどんなものなんだろう。
ジョンベネ殺害、容疑者の妄想説まで出てきていてわけがわからない。相変わらずアメリカというのは変な国だ。テレビ局が狂想曲を演じているのは日本とあまり変わらないが、なんとなくその性質も日本とは違っていて、セーラムの魔女の話をなんとなく連想した。集団ヒステリーというのも国民性が現れるんだなという感じ。
大相撲台湾巡業の盛り上がりが凄い。どこでも女性ファンに囲まれたり、奥さんと店から出て来たところを激写されて不倫疑惑になったり、大騒ぎ。良くも悪くも日本が好きなんだなあと言う感じ。
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いろいろな人々のコメントに刺激されて靖国「問題」についていろいろ書いてきたが、うさたろうさんに話に付き合っていただいて、結構普段問題として取り上げられにくい、つまりタコツボ的にそれぞれのサークルで語られている問題について見解が出し合えたのは収穫だったと思う。ただ、こういう問題が普段語られにくいのは、それぞれのサークルの中では自明のことであるからで、違うサークルに対して改めてサークル外にも通じる一般的な言葉で語ることは結構難しく、瑣末な事実についてぶつけ合い、挙句の果てには非難中傷合戦になるということを避けて真摯に語り合うという機会はあまりにない。私は右系の集会にも左系の集会にも出たことはあるが、こりゃお互いに立場の違う人には受け入れられないなと感じる言説ばかりが飛び交う。
よくそれを自慰的というけれども、結局異種格闘技戦というのはルール自体の設定が大変だから成り立ちにくい。日本国憲法をどう位置づけるか、というのはそれを戦後社会で当たり前のように受け入れてきた我々の世代にとって、完全に相対化してその是非を論じるのは相当の荒業である。相対化すること自体も難しいが、枠組内にいる人たちに対してその議論を理解してもらうことは福音派クリスチャンに仏教の悟りについて説明するようなものだ。
それでも靖国「問題」というのはその対立がわかりやすく現出する「問題」であるので、ある意味リーズナブルなのかもしれないという気がした。これは南京事件をめぐる対立などと違い、事実をめぐる争いではない。あまりに捏造と虚偽とが溢れ返って何が真実なのかちっとも分からない「戦場の真実」よりも、もっと思想的な次元での議論の方が、ある意味有意義であるように思った。
いわゆる「若者の保守化」の問題については私自身あまりよくわからない。まあ私の場合は無批判に「頼もしいこと」とみている面もあるが、ネット出現前の左翼言説が圧倒的だった時代とは違い、保守的な言説を自ら選び取れるようになっているという状況変化はあるだろう。もちろん冷戦構造崩壊による「理想としての社会主義」の消滅ということも大きい。「理想社会としてのソ連」という見本がなくなれば、中国も北朝鮮も「国家として目指すべき理想」とは程遠いことが明らかになってきていて、中国の存在も「ソ連とは違う真実の社会主義を目指す理想的な国家」ではなく、「日本を恫喝する危険な一党独裁大国」でしかなくなっている。
つまり、「社会主義国=理想国家」というバラ色のフィルターが跡形もなく消滅した今、左翼=社会主義と彼らが唱導するインタナショナリズム=平和主義とは単なる「お題目」に過ぎなくなっていて、説得力の根拠を失っているということがあるだろう。「平和勢力であるはずの北朝鮮」が実は「中学生を拉致する非道な破綻国家」であったという衝撃は、左翼陣営の人が考えている以上に強烈なインパクトを日本人に与えたのではないか。この事実が動かせない以上、左翼が若者を吸収できないのは当然だと思うし、「若者の保守化」は要するに敵失によって受け皿のない層がなんとなくそっちに流れているに過ぎないのではないかという気もする。