4902.高校野球決勝戦/『福田和也の「文章教室」』/アメリカ型リベラル……?(08/21 09:20)


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昨日。相変わらず調子が悪い。腹の具合は収まっているのだが、歯茎の裏が腫れてきた。なんだか夏の疲れがいろいろな形で出ているらしい。万全の体制で仕事をスタートさせたいのだが、なかなかそうも行かない。だましだまし何とか軌道に乗せなくては。

高校野球決勝戦、凄い試合だった。途中から見たのだが、結局延長15回まで全部見てしまった。両投手が凄い。駒大苫小牧は不祥事の連発から選抜辞退を招き、ずいぶん大変だったようだが、それを乗り越えての決勝進出、実力もそうだが精神的なタフさにかけては素晴らしいものがある。北海道出身の人たちも一生懸命応援しているが、それは選抜辞退というどん底から立ち上がったということも大きいだろうと思う。対する早実。共学になったとは知らなかった。国分寺に移転してからなのだろうか。名実ともに東京西部の学校になったという感じだ。あのごちゃごちゃした早稲田近辺、最近行ってないけどどんな感じに変わったのだろう。

最近高校野球に興味を失って全然見ていなかったが、今回の決勝戦は感銘を受けた。試合のレベルも高いし精神力も凄い。引き分け再試合で今日また試合、というのは相当辛いと思うが、選手の将来性も視野に入れつつそれぞれのベストを尽くして好試合を行って欲しいと思う。

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夜になってから町に出かけ、駅前の本屋で福田和也『福田和也の「文章教室」』(講談社、2006)を買う。作家志望の人のための小説案内という感じで、なかなか面白い。福田という人が実は繊細なセンスの持ち主だということがよくわかる。

<画像>福田和也の「文章教室」

講談社

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福田は日本の文芸評論家の中で数少ない村上春樹を高評価する人なのだが、村上について一言で言ってしまえば愛とか恋とか魂とか懐かしさになってしまうけれども、いまだ名づけようのない、「なぜかはわからないままに涙が出てくる」、「超越的な」感情を表すのがうまい、と述べていて、なるほどうまいことを言うなあと思った。「愛じゃなくても恋じゃなくても君を離しはしない/決して負けない強い力を僕は一つだけ持つ」というのはブルーハーツの『リンダ・リンダ』だし、「かたじけなさに涙こぼるる」といえば西行だが、そういった感情というのはユニバーサルなもので、確かに村上はそれを描くことに成功しているし、日本の批評家の多くはそれをとらえることに失敗している、と思う。こういう感じ、というもののうち日本ローカルなものを描く人もそうはいないけど、まだわかりやすいと思うが、村上の描くものはもっと世界に開かれている感じがする。イシグロやル・クレジオ、クッツェーといった最近読んだ文学者にもそういうものを感じる部分があるし、そういうものがある作品が私は好きだなと思う。

ただこういうものはあまり生々しいと食あたりを起こす感があり、実は結構村上はこういう部分に関しては生々しいと思うのだが、それは福田が述べているように「大切な人を自殺に追い込んだ世界」、「ある種の人間の内部にある汚さ、邪さ」を持つ「世界に挑戦するために小説という武器を磨いている」という動機がかなり明確に現れているからだろうと思う。そういう意味では村上はかなり自覚的な「精神の革命運動家」なのだ。

私などは村上が否定しようとしている「汚さ、邪さ」を持つ人物と設定されがちな「旧日本軍人」とか「警備員」とか「警察」とかいう人たちがそういうステロタイプで攻撃されることへの憤りのようなものを逆に持っているので、『スプートニクの恋人』などもそういうシーンはちょっとなあ、と思ったのだが、まあ矛先はステロタイプに過ぎるにしても言いたいことはわからなくはない、とは思う。こういうことが読み込めるというのはやはり福田が日本文学に偏らず相当幅広く読んでいるということの証左でもあるし、私は改めてこの批評家を見直した。

そのほか、江国香織や川上弘美、柳美里など私の読まない種類の作家の魅力もうまく現してくれてあって、読んでみようかなという気にさせる。この人、仕事の手を広げすぎだが、こういうジャンルに限れば現代の日本の文壇では圧倒的な筆力を持っているのではないかという気がする。読みかけ。

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