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「神社のロマンチシズム論」か。この問題は人間の文化というのがそもそもいかなるものかという本質的な問題に接続していくことだと思う。ひとり靖国神社や神社神道の問題ではない。他との比較なしにそれを「虚構」と切り捨てるのは妥当性を欠く(というか虚構性を含まないものが人間の文化にありえようか)と思うが、そういう論法はうさたろうさんや【な】さんに限ったことではなく、ある種のアカデミズムや社会風潮全体の傾向なので、ちょっとやそっとの頑張りでは「蟷螂の斧」だろう。
しかし逆に頑張りすぎてロマンチシズムオンリーの世の中になってもこれもまた私自身としても困るので、結構難しいところなんだよな。最近「格差社会」ばやりの世の中になってしまっているが、その先鞭をつけた佐藤俊樹が「平等主義・悪平等の行き過ぎの世の中だったから問題提起として言ったのに、逆に不平等を正当化する言説として使われてしまっている」と慨嘆していた。バランス欠いていることに憤慨して述べた言説が全く逆の方向にバランスを欠くようになる事態を招くということは、自分の職業経験の中でも良くあったことで、結構それは警戒している。
私はある思想を奉じてオートマチックに対応するタイプの言説には左右を問わず魅力を感じないので、まあ情勢と自分の理解や知見の成長に合わせて少しずつ意見を述べていくしかないのだろう。「人を見て法を説け」とお釈迦さまはおっしゃったが、情勢が刻々変化する現代社会で、誰が読むかわからないブログでそれをやるのはなかなか難しい。
もちろん、人として生まれたからにはその言説もオートマチックもバランスも超えたオリジナルなものに育て上げたいと思う。それに対しても「オリジナル信仰」という非難はありえるが。
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