須賀敦子『本に読まれて』読了。実に面白く興味深いのだが、後半にいくにしたがって疑問も感じて来た。これが年代順に並んでいるなら、晩年になって賛同しがたい部分が現れてきた、ということかもしれない。デュラスの『エクリール』の中で蝿の死を克明に観察し、3時20分というその死の時刻を記録することがその蝿の葬儀なのだ、というデュラスに須賀は感心し、蝿の死を歴史に位置付ける「ヨーロッパ」に賛嘆する。一方で彼女は志賀直哉の『城の崎にて』にそれが欠けていることに不満を漏らす。しかし、時を記さないのが日本あるいは東洋であり(中国は違うかもしれないが)、そのことが蝿の死を永遠化するために必要なのではないかとすぐに私は思った。歴史化と永遠化。それに価値の上下はない。
また、年齢的に仕方がないことかもしれないが、「日本の戦前」への病的な忌避感がある。彼女が若いころカトリックに改宗し、(日本では改宗というほど宗教が固定的なものではないが)日本を離れたのも同じ動機らしい。それでいて、ジッドに感動しやすい日本人のことを「ジッドのプロテスタンティズムに由来する、一種の誠実さとか真摯な態度みたいなものに、ある時代の日本の読書人がとかく魅せられやすかった」と批判的に見たりもしている。彼女自身の精神構造も「ある時代の日本の読書人」とそう違うとは思えないが。
そういうのと同じような面が後半に行くにつれて強くなっていくのは残念だ。これだけおおらかにさまざまなものに興味を持ち、さまざまなものに共感しうる魂が、最後には原則論的・教条的な陥穽に落ちてしまう。そのきっかけは19889年の昭和天皇の崩御をめぐる日本社会のありように、彼女たちの頭の中では乗り越えたつもりになっていた天皇とそれにまつわるものが社会の表面に噴出してきたことが、おそらくショックだったのだろう。また1995年の衝撃、すなわち阪神大震災と地下鉄サリン事件もかなりショックだったようだ。私自身、社会党的なもの、すなわち「進歩的文化人」と称するものがいかに無力で無効なものであるかを強く感じたのが危機管理思想が絶無なこうした傾向の人々に対してであった。以前どこかで書いたが、これらの事件をきっかけに左翼的なものと最終的に訣別した人は私だけではないようだ。
こうした時代の動きの中で、須賀の書くものは悲観色が強く、時代を厭う色が濃くなっていく。98年に68歳で亡くなられたのはいかにも早く、惜しいのだが、2001年の911の衝撃を受けずに済んだのは、まだしも幸いだったかもしれないと思う。われわれ日本人には想像もつかないくらい、西欧文化圏の人々はあの事件に深い衝撃を受けている。西欧文明を媒介に世界の人々が理解し合うことは可能だという希望を、相当なレベルであの事件は崩壊させたからだ。須賀のスタンスはやはり基本的にはそういうものだから、その衝撃は深刻なものになっただろう。
まして2002年の917、すなわち「拉致」の存在が明らかになった北朝鮮との交渉やその後の本質的なナショナリズムの盛り上がり、また有無を言わさぬアメリカのアフガン戦争やイラク戦争とその無様な進展などを見たとき、彼女は何を書けるだろうかと思う。もう悲痛しかそこには残らないように思われる。
司馬遼太郎もそうだったし、ほかにもそういう人は何人もいるが、晩年にさまざまな衝撃で教条主義的になったり強いショックを受けてしまう人が多いのは残念だが仕方がないことかもしれない。68年の学生運動が盛り上がったとき、パリ大学の教室で教授の目の前でいきなり女学生が胸を露出させたことに深い衝撃を受けた老哲学者はそのまま死んでしまった。暴力的な諸事件は否応なく敏感な魂を打ち砕いてしまう。たとえその魂がどんなに高貴なものであっても。
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須賀を読み終わったので読みかけになっていた谷崎潤一郎『少将滋幹の母』を読んだが、これも読了。平中の滑稽談に始まり、時平が叔父国経の北の方を強奪する話につながり、妻を奪われて苦悩する国経の「不浄観」というある種の地獄めぐりのような話になり、最後は40の後、国経と奪われた妻の子、滋幹が母を慕い、再会を果たす話で大団円となる。これを亀井勝一郎や正宗白鳥は谷崎の最高傑作と推しているのだが、むむ、と思う。
確かに叙述の曖昧模糊とした中から夢のように現実が現れるさまの描写などは余人の追随を許すものではないなと思う。小倉遊亀の挿絵もすばらしい。存在しない「種本」を勝手に作ってそれにしたがって記述するというやり方も作り話の王道という感じである。「なるたけ史実の尊厳を冒さないようにしながら、記録の不備な隙間を求めて自分の世界を繰り広げようと思ふ」という姿勢も、まさに歴史小説の鑑ともいうべきで、いうことはない。