コスモポリタンでありつつある国の国民である、というような意識はヨーロッパでは18世紀くらいから培われてきていると思うが、日本ではそういうものはなかなか育っていかないなと思う。外国文化に同化することのみに急な軽薄な根無し草であるか、ナショナルな土俗性に依拠して他国の文化を毛嫌いするかのどちらかになりがちだが、政治とか戦略と言うものはともかく、芸術的なものはナショナルなものとコスモポリタン的な意識を両立させる通路になる可能性のあるわずかなものの一つなんだろうなと思う。「世界中で演奏すること」はすなわち、「世界中で共感されるものが有り得る」ということの証明をし続ける、という意味を持つわけで、彼らの存在そのものが世界のコンコルディアの可能性への希望そのものだということになる。日本文化を発信するのは日本のためだけでなく、世界のコンコルディアに日本が少しでも貢献すると言う大きな意味を持つわけで、政府はまあ尻の穴の小さいことを言わず、太っ腹で文化に資するようなことを実行していってもらいたいものだと思う。
ランキングに参加しています。よろしければクリックをお願いします。
人気blogランキングへ