4887.村上隆『芸術起業論』の衝撃/アートの分野の人の言葉(09/26 07:48)


< ページ移動: 1 2 >

夕刻久々に神保町に出かける。これといって何か目当てがあったわけではないが、夕日がきれいだった。新御茶ノ水の総評会館の出口から出て、信号を渡り、太田姫稲荷神社の先を左折。アート系の古書店が二軒あって、いつもそこの店頭で買うか買うまいか迷うのだが、昨日も迷った。きれいなものはほしくなる。しかしね。かったままほったらかしにするのもいつものことだ。

駿河台下の交差点を渡って書泉ブックマートに行き、いくつかマンガを見る。こうの史代のまだ読んでいないのがあるなあと思いつつ、とりあえず後回し。今切実に探しているものではない。

三省堂に移って一階の書棚を物色していて、村上隆『芸術起業論』(幻冬舎、2006)を手に取る。「欧米では芸術にいわゆる日本的な、曖昧な、「色がきれい…」的な感動は求められていません。/知的な「仕かけ」や「ゲーム」を楽しむというのが、芸術に対する基本的な姿勢なのです。/欧米で芸術作品を制作する上での不文律は、「作品を通して世界芸術史での文脈をつくること」です。ぼくの作品に高値がつけられたのは、ぼくがこれまで作り上げた美術史における文脈が、アメリカ・ヨーロッパで浸透してきた証なのです。」パッと見たのはこの場所だったかはっきり覚えていないが、「まったくそのとおりだ」と思った。これを買おうとは思ったが、いつもだいたい東京堂でもう一度本を見て、周りの本との配置というか文脈で買うことが多いので、いったん三省堂を出てふくろう店と東京堂本店を見に行くが、『芸術起業論』は置いていなかった。

<画像>芸術起業論

幻冬舎

このアイテムの詳細を見る

考えてみれば、目に付いた書店こそが、それを私に提示して見せた「功績」(と言ったら不遜だな、なんといえばいいのか)があるわけだから、その店で買うべきなのだ。で、戻ってきて三省堂でそれを買う。ブックカバーが神保町の絵地図になっていて、これは結構便利だ。三省堂はなんとなく商売っ気が強すぎて(つまり本自体の研究が不足しているような気がして)敬遠しているところがあったのだが、神田古書店街自体を盛り上げようという志が感じられてあたたかい気持ちになった。

夕やけがきれいだ。すずらん通りをぶらぶらして、『ティーハウス タカノ』に入る。この店も久しぶりだ。今まで私はなんとなく新宿のタカノフルーツパーラーと関係があるのかと思っていたら、全然関係なくて、こちらを読んでそういう店だったのかと納得した。ダージリンにティーケーキを注文。『芸術起業論』を読み込む。

正直言って驚いた。読めば読むほど、書いてある内容に納得できる。誰もが賛同できる内容だとは思えないが、少なくとも私にはものすごくしみ通るように言葉が入ってくる。言葉にしたら簡単で、軽薄なことのように思えるのだが、その意味するところはものすごく重いし大きい。今まで私は村上と言う人のことをあまりよく知らなかったし、作品も少ししか見たことがないし、印象にもあまり残らなかった。日本のオタク文化を芸術に借用してうまくやってブレイクした人がいるらしい、というステロタイプで認識していたのだが、現象面ではまったくそのとおりなのだが、考えているところはそういう下司の勘繰り的な次元とは無縁のところにある。一言で言えば勝負している人なのだ。

奥付を見て1962年生まれだということを知る。まったく同じ世代であるせいだろうか、暗黙知的というか、無意識での世界認識の仕方がものすごく腑に落ちるのである。われわれの世代の人の発言で、ここまで心の底からその通りだと思った文章を読んだことがない。正直言って天籟に打たれたような感想さえ持った。

私はやはりアートの分野の人の言葉が一番理解できるらしい。藤田嗣治も面白いと思ったが、夏休みに読んだ藤田の『腕(ブラ)一本』も感想を書いていないのだけど、感想など書きようがないのだ。ただ面白いとかそのとおりだと頷いた、だけでは書評にならないではないか。書評になどならないのだ、バイブルというものは。経典なのだ、アートの分野で本当に深く共感した人の言うことは。


< ページ移動: 1 2 >
4887/5495

コメント投稿
次の記事へ >
< 前の記事へ
一覧へ戻る

Powered by
MT4i v2.21