彼らは、「愛し合う」ということをある種の課せられた義務、ある宗教的な、あるいは崇高な行為として、また違う角度から見れば峻厳な刑罰として科せられているように見える。それは、登場人物たちだけでなく、西欧文明の人たち一般にそういう「愛に対する強迫観念」があるように思われる、ということである。この世で愛が一番大切だ、という人の言葉には、何かそういうある種うつろなものを感じる事が多かった(私が最初に感じたのはビートルズの「愛こそはすべて」だった気がする。まだ子どものころだが)。
少女性愛(いわゆるロリコン)やSM行為などに対しても、彼らはわれわれよりも考えられないくらい真剣で、そこに愛があるはずだというある種の絶望的な宝捜しをしているように思われる。そのあたりにはわれわれには感知することの出来ない深淵があるのではないかという気がする。
私が思うのは、やはり神を信じる事が出来なくなった彼らが、その代償に求めたのが「愛」だったのではないかということだ。「愛」は人間同士の間に成立するものだから、「神」に比べれば存在・非存在を感知するのはより容易である。しかし人間同士の間に成立するものであるからこそ、不条理なものでもある。
私などが思うのは、やはりそれは人間が「自然」から切り離された病理現象のひとつなのではないかということだ。ただこのあたりのところはそんなに単純に整理してしまっても面白くないので、もっといろいろな事を考えたい。われわれ日本人がもっと近代人であるためには、「愛」についてもっと考えた方がベターであると思う。近代人でなくてもいいという気ももちろんするのだが。
その他のことをもう少しだけ書くと、ひとつ大きいのは差別の問題だろう。この話のテーマは言い換えれば一つの新たなる被差別カーストがつくられる危険性への警鐘といえなくもない。であるからこそ、逆に現在もなお残る差別や、特に根源的であるがゆえに深刻なインドのカーストの問題も照射する。またロボットやアンドロイドと人間は共存しうるかというSF的なテーマにも近く、『仮面ライダー』や「新造人間キャシャーン」で扱われているものが集団的に発生したらどうなるか、というアイデアの展開でもある。そういうことで言えばひさうちみちおの題名は忘れたが「ロボットと人間の結婚」とか「カバの人」の出てくる漫画などを思い起こさせた。
そういう差別された階級を「救済」するためにはどうしたら言いか、という深刻な問題もまた描かれ、イギリスにおける理想主義的人道主義の後退、すなわちサッチャリズムに対する批判にもなっている。しかし、その「理想主義的人道主義」に対するかなり強い批判も作中には含まれている。
このように、かなり幅広く深刻な問題がこの作では提起されているわけで、ものすごい作品である事は事実である。こんな物語を書く人がいるんだということだけでも相当驚くが、なんというか単純に「傑作」だとは言いきれない気がして仕方がない。また数年後、数十年後に読んだらもっと落ち着いた評価もできるのだろうが、今のところは「生もの」である。しかし、おそらく読まれるべき作品であることは確かだろうと思う。
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