4648.村上春樹『ねじまき鳥クロニクル』は問題作か(04/23 08:50)


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いずれにしても、私自身もこの作品について語るにはまだあまりに時間が足りないようだ。長い時間をかけてこの作品のことについて考え、思い出し、気付き、組み立てていくことをしなければ、この作品はつかみきれない。この作品のさまざまな登場人物は、いろいろな意味で私自身と重なる部分を分有している。子供のころから「痛み」と言うものから逃れられなかった、という人物が出てくるが、私も小学校高学年くらいから高校にはいるくらいの頃まで――今考えればそれが思春期というものか――いろいろな痛みから、特に頭痛から逃れられなかった。他の人が自分と同じようには痛みというものを感じていないのだということを知ったときは驚いたし、痛みの無い世界では人はどのように何を感じるのだろうと不思議に思った覚えがある。

私の場合は半年くらい病院を回って割合単純な病気が原因だったということが分かり、それについては嘘のようになくなったのだが、いろいろな痛み――主に心の面での――はそれからも手を変え品を変え表れてきて、まあある意味そういうものに慣れてしまったりはした。ま、そんな感じでいろいろな登場人物の語る自分、あるいは描かれた事物に、自分や自分を取り巻くものたちが見出せる部分が実に多かった。しかし、村上の描写が助かるのは、登場人物、特に主人公が相当明確に自己というものを持っているために、私自身が必要以上に感情移入をしなくて済む、というところにある。つまり、登場人物が「私」そのものになることはなく、「どこか遠いところで行われている実験」を見ているだけで済むのである。そういう意味ではドッペルゲンガー的な構造が最初から織り込まれていると言っていいのだろう。ただ私自身が心理的な混乱のさなかにあったときにこの作品を読んでいたらいったいどんな目にあったかはわからない。

まあそんなこんなを考え合わせていくと、この作品は構造的にも相当複雑だし、語りかけられてそのままになってしまったモチーフも少なからずあるように思う(私自身はそういう未発の可能性が多く含まれた作品というのは愛すべきものだと思うのだが)。そのあたりが嫌な人には嫌なのかもしれないなと思えてきた。

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