4648.村上春樹『ねじまき鳥クロニクル』は問題作か(04/23 08:50)


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『ねじまき鳥クロニクル』を、福田和也はどのように評価していたっけ、と思って『作家の値打ち』を読む。「これまでで最長にして最大の問題作。」とある。え?問題作?どこが?「発表時多くの評者・読者を戸惑わせ、いまだに戸惑わせている。」何で?そのあとの評語は省略するが、むしろその批評を読んでこっちが戸惑った。96点と言う評価は妥当(最高点)だと思うが、単純に評価できる作品でない、と言うことらしい。こっちが驚いた。何が問題なのだろう。確かに満州国の評価に問題が無いとは言わないが、それはいわば思想的なスタイルの問題で、プロレタリア作家がブルジョア文化を肯定的には描けない、と言うまあ立場とかスタイルから来る現実的な縛りに過ぎず、描かれていることはもっと人間的な真実の部分に到達していると思う。逆に中国人やモンゴル人、あるいはロシア人の描き方に反発を感じると言う人もあろうが、それもまた同じことである。村上が描こうとしているのはそんな表面的なことではない。

ネットでいろいろと批評を見ているうちに、自分の中でのこの作品に対する考えがだんだん見えてくる。この作品はアンジェイ・ズラウスキ監督の『狂気の愛』(原作はドストエフスキー『白痴』)に似ている。『狂気の愛』をシネヴィヴァン六本木で見たときはもう感動と言うか興奮と言うかで一杯だったのに、同時にエレベーターに乗ってきた女性は涙を浮かべんばかりの勢いで映画を罵っていた。ああ、この映画のよさを分からん奴もいるんだなあとそのときはびっくりしたが、世の中そんなものかも知れぬ。

『ねじまき鳥クロニクル』は性描写が多く、暴力シーンも多い。多分抵抗を感じるのはそういうところなのだろうと思う。しかし、セックスのためのセックスでなく、暴力のための暴力で無いことは明らかで、人間性の根源に近いところを描こうとするとこうなってしまう、というか性とか暴力とか言うものは人間にとっていちばん深いところに――それこそ深い深い井戸の底に――あるものだということが語られているのだと思う。そのほか、「予言」とか「癒し」とか、今日的な問題が複雑に絡み合って取り上げられていて、いや実際、こんなに面白く刺激的にも小説と言うものは書けるのかと私は仰天しているのだが、ネットの評語を読んでいると逆の意味で仰天する言がいろいろでてくる。

「どこで面白くなるのかと思ったらどこまで行っても面白くならない。」え?最初の「泥棒カササギ」を口笛で吹きながらパスタを茹でているところに妙な女から電話がかかってくる出だしからして既に面白くないか?確かにある種の臭みはあるが、まあそれは村上テイストだと思って我慢するしか無い種類のものだろう。「6年間も一緒に暮らしていたのに花柄のトイレットペーパーが嫌いなことに気がつかないはずが無いから描写が不自然だ。」え?そんなこといくらでもないか?ちょっとした事が露見してそこから男女の仲が崩壊していくなんてことはあまりにありふれているというならまだ分かるが。しかし大体この描写はある種のメタファーであって、その背後に何を言わんとしているかを読み取るしか無い種類のものだろう。まあそういう意味で言えばこの作品は予言と暗喩に満ちていて、そういうものが苦手な人にとってはアレルギー的な反応をおこす種類のものかもしれない。

しかし現代芸術というのはそういうものじゃないのかな?そのようにしてしか語りえないものを語るのが現代という時代において小説を含む芸術に課せられた使命なんじゃないかと私などは頭っから信じて疑わないのだが。でなければカフカや安部公房をいったいどのように読もうと言うのだろう。この作品を含めて、村上春樹の作品と言うのはもっと大きい声でその面白さを訴えていかなければならないものなのかもしれない。

私自身にとっては、こんなにリアリティに富んだ作品は逆に今までになかった。もう想像できないくらいリアルで(笑)、出てくる警句も――良いニュースは小さな声で語られる、とか、想像してはいけない、想像することはここでは命取りになるのだ、とか――もう全くその通りだなと思ってしまう。いったいどこまで深い井戸の底に村上春樹は降りたのだろう。

ノモンハンだって動物園だってシベリア抑留だってある意味メタファーだ。それらの描写がが事実と言う意味では不正確かもしれないと言うことは、かなりはっきりと作中で暗示されている。(ネタばれ防止のために限定された表現になっています)それらは「村上と言う井戸」の底の世界の話であって、「事実は必ずしも真実ではなく、真実は必ずしも事実ではない」。


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