4644.冷蔵庫/麻雀/古井由吉『仮往生伝試文』/カズオ・イシグロ『わたしたちが孤児だったころ』(04/27 09:49)


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昨日。午前中は冷蔵庫の修理が来るのを待つ、というなんとも落ち着かない時間。文章を書いたり、本を読んだりしてもなんとなく気もそぞろ。しかしそのうち、冷蔵庫は異音だけでなく異臭を発し始める。何かモーターが焼き切れたような、化学物質を焼いたときのようななんとも嫌な臭いだ。ここに至ってこりゃまずいな、とは思ったが、とにかく修理を待つしかない。しかしそれ以前にまずコンセントを抜かなければならない。コンセントは冷蔵庫と食器棚の間のごく小さい隙間にあるので手が届かず、冷蔵庫をうんしょと移動してようやくコンセントを抜いた。しかし異臭はやまず、台所の換気扇をフル稼働し、ベランダ側も通路側も窓を開け放ってとにかく空気を換気する。寒い。しかしやむを得ぬ。この匂いをかいでいると何だか気が遠くなってしまう。いわゆる気分が悪いというむかむか感ではなく、それでも確かに体にはやばいということがわかる嫌な臭いである。

とりあえず台所と居間から(私の住居は築23年の集合住宅で、昔の―今でもそういうのだろうが―LDKというヤツだから、キッチンがまずいと居間にも居られない。とにかく通路側の書斎にしている部屋に避難し、パソコンに向かって時間を潰す。ここのところAI麻雀に凝っていて、短い時間でさっと半荘こなす。学生時代のヘボ麻雀のころは半荘30分くらいかかったが、ゲームだと10分かかるかかからないかなので短い時間で気分転換するには結構いい。

最近桜井章一を読んでいて気づいたのは、配牌を積もりながらすでにその場の狙い、方針を決めているということ。ゲームでは最初の配牌が13枚ないし14枚同時に来るから来た時点でちょっと考えなければならない。私は今まで、「手なり」で打ってきていたのだけれど、それでは駄目だということにようやく気づいた。最初から何を狙うかは「決定」しておかなければならない。「決定」されていれば、鳴くのも面子を落とすのも大胆に出来る。もちろん間違うこともあるし間に合わないこともあり、方針を変更することも多々あるのだが、今何を目指すのか、ということを配牌の瞬間から誰かが上がる瞬間まで、常に意識していなければいけないのだ。手なりでうまく行くことももちろんあるのだが、それは確率が低いしいつでも「幸運」を願っているに過ぎない。自分で方針を持って常に何かを目指して努力する、そういう姿勢があって初めて強くなれるのだということがわかってきた。麻雀は努力のゲームなのだ。努力だけでは勝てないが努力がなくては強くなれないゲームなのだ。そういう意味で、非常に人生に似ているゲームである。

12時前に修理の人が来ていろいろ見てもらうが、結論としてはもう修理は不可能だということだった。この冷蔵庫も買ったのは昭和時代だし、平成6年に一度モーターを交換している。それからももう12年経っているのだからよく持ったというべきなのだろう。部品ももうない。多分そうかも知れないなと思ってはいたが、専門家にはっきり断言されると納得も出来る。15分ほど時間があったので家の裏のヤマダ電機でさっさと新しいのを注文して帰京したらすぐ新しいのを使えるようにしようと思って行ってみたが、どうも一見では決めかねる。よく見ると「即日配達」というのもあるし、それなら東京に戻ってから買っても同じだと思い、そのまま東京駅に向かった。

連休が近づいていて、普段使っている特急の回数券が27日から5月6日まで使えなくなる。昨日はぎりぎり使えた。ビューカードのATMでポイントをスイカのチャージに変換。2000円分溜まっていた。それで弁当を購入。新宿へ移動。車中エリオットを読む。これはもっとじっくり、というか真剣に読まないといけないと思う。彼の語る批評理論というのは、おおむね頷けるだけでなく感心させられる。きちんと吸収しなければいけないと思う。もちろん違うなと思うところもあるが、その違いの根拠もはっきりさせたいものだと思う。2時のスーパーあずさは所要時間が一番短く、停車駅も少ないのであっという間についた感じ。


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