ただ、なんだか、朗読と言うのが官能的な行為であるような気がだんだんしてきたので、ちょっとまたいいなあと思ってきたのかもしれない。演奏にしろ朗読にしろ、不特定多数に向かってやるなら芸術表現になるが、特定少数に向かってやるなら親愛の表現になるし、ただ一人に対してやるならとても官能的なものだ、ということなのではないかと思った。
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