4607.『王様の仕立て屋』/保坂和志/村上春樹の世界性/吉田秀和の凄み(05/04 10:09)


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だから、というわけでもないが吉田秀和『文学のとき』(白水uブックス、1994)を買う。この人の音楽批評は朝日新聞を取っていたころはよく読んでいたが、最近はあまり文章自体を読んでいない。中原中也との交流を書いたところが興味深い。この人の音楽批評は何も分からないまま感心して読んでいたが、今文章を読んでみると才能のきらめきというよりは「平凡の凄み」みたいなものがある文章だと思う。天才だろうが何だろうが、平凡なものが自分の見える範囲で斬って捨てる。しかし、その斬って捨てたところから何か異形なものが再生してくることを知っている。その気味の悪さのようなものをこれだけ書ける人は平凡人でしかあり得ず、自分の才能のなさまで気味の悪いくらいよく知っている。そして天才への共感は全く示さないし、自分の才能のなさを嘆くこともなく、自分が才能あるものに見られたいがためのてらいもゼロで、それがゆえに生ずる醜い嫉妬や足を引っ張ろうとする悪意のようなものとも無縁である。これはおそらく、中原や小林秀雄のような本当の天才と自分が異質な人間であるということを徹底的に知っていたその冷たいまでの自覚からきていて、その時代性の産物であると同時に、その「自覚」という点での不気味なまでの「覚り」の深さのようなものがこの人にはあるのだなと思う。

現代人はなかなかこうまで深く自覚できない。自分の才能がいかに中途半端であれ、その中途半端な才能にすがって生きようとし、それがために醜くならざるをえない。そういうことに無縁である平凡人としての吉田秀和は、現代人としては、あるいはもっと広く近代人としても、ある種の異形なのではないかという気がする。

夜は阪神巨人を見ながらうとうと。私と同世代の工藤投手が6回無失点。原監督の采配もなかなかすごい。堀内時代の「失われた二年間」がなければ今頃どれだけのチームになっていたか、と思う。だいぶ悪口を言われた人だが、最近の采配は凄みがある。夜は早めに寝たので『オーラの泉』は見られなかった。朝は早起きして散歩に出かけ、西友でクロワッサンを買って帰って朝食。クリスタルガイザーのスパークリングを飲みながらこんな文を綴っている。


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