4581.デュラス『愛人』とダサさをエレガントに表現するフランス語(06/28 10:37)


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昨日帰郷。昨日の昼間は暑かったが、今朝は普通の掛け布団が必要なほど気温が下がった。信州は涼しい。東京ではとても無理だ。それは気温の日較差が大きいということで、春先などはそれで調子を崩すのだが、夏になるとそれはとてもありがたいことになる。

朝起きてSUPER JUMPを買いに行く。やはりコミック雑誌では今一番面白いと改めて思う。「バーテンダー」と「王様の仕立て屋」を読むだけでも買う価値があるが、他の連載もほとんどはずれがない。問題はちょっとアダルト的な部分の含有量が高いので、人によってはアレルギーを起こす可能性があるということだが。

腰の調子が良くないので『デューク更家の一分間ウォーキングスーパーセラピー』(主婦と生活社、2004)を読み直してみる。いろいろと示唆に富んでいてやはりこの人は本質をつかんでいると思う。「骨盤を締める」という感覚が重要だなと思う。

<画像>デューク更家の1分間ウォーキングスーパーセラピー―心と身体の悩みを解消

主婦と生活社

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特急の中と夜寝る前をかけてマルグリット・デュラス『愛人(ラマン)』(河出文庫、1992)を読み通す。フランス語文学と英語文学の性質の違いのようなものを実感できる。英語文学で、また日本語文学では「かもしれない」「ではないか」という表現になりそうなものがすべて断定の言い切りの形で表現されるため、(まあデュラスがそういう人だということもあろうが)とてもイメージが明確な像を結ぶ。これは歴史などを読んでいてもそうなのだが、あまりに明確すぎてちょっと違和感を覚える。しかし、イメージ、イマージュが明確であったからといってそれが真実や事実とは限らないわけで、そういうフランス語的な「明瞭な曖昧さ」のようなものを意識して読めると、案外そういう違和感が逆にポップで面白い気もしてくる。

<画像>愛人(ラマン)

河出書房新社

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