で、帰りに丸善でジョージ秋山・黄文雄『マンガ中国入門』(飛鳥新社)を買う。この本は中国の現状と歴史を分かりやすく解説していて、これもまたなかなか良く出来ている。ジョージ秋山は「浮浪雲」化してからはあまり読まなくなったが『ほら吹きドンドン』とか『デロリンマン』、『アシュラ』、『告白』などを少年マガジンで連載していたころはよく読んでいた。あまりにグロテスクな描写(物理的にも心理的にも)が多く連載中止に追い込まれたりしていたが、この本も半ばはそういうノリで書かれていて中国の実態がよくわかる。しかし誰がこんな酷い国、特に文化大革命などを理想化して熱烈に日本に紹介したのだろう。責任者出て来い、という感じである。
今日も夕方神保町に出かける。特に当てはなかったのだが、三省堂の二階の文庫コーナーで本を物色していたらカウンターでとある外国人が何か急にわめきだしてフロア全体が静まり返った。その無言の圧力に負けてか彼は静かになったが、なんだか挙動がおかしかった。わめいていたのは英語らしかったが、今ひとつよくわからなかった。しばらくして何事もなかったかのように日常が取り戻されたころ、犬養道子『ある歴史の娘』(中公文庫)という本を手に取る。作者は言うまでもなく、木堂犬養毅の孫であり、戦後造船疑獄の指揮権発動で失脚した犬養健の娘である。5・15事件前後の思い出として、一人の無口な男が犬養家の私邸にいつも出入りしていた、という話から始まる。彼は、フランスに約束された王位を捨てて祖国ベトナムの独立のために立ち上がった亡命王、コンデ侯だったのである。彼と幼い日の道子との交流から始まるこの本を、やはり私は買わないわけには行かなかった。日本がアジアの希望の星であった時代のことを、われわれは忘れてはならないと思う。
その後、東京堂ふくろう店で北村稔『中国は社会主義で幸せになったのか』(PHP文庫)を購入。これも買うかどうか迷ったのだが、「現在では…書物として文化大革命を論じることは禁止されている」という一文に強く引かれ、購入することにした。
自国のわずか30年前の歴史を論じることを強権的に禁止している国が、他国の60年前の歴史と戦没者の慰霊にいちゃもんをつけるなど、そもそも原則的に臍が茶を沸かすような話だ。靖国「問題」など、自国の歴史をまともに論じられるようになってから他国に文句をつけろと一言言ってやればいいだけの話なのだ。靖国「問題」というのは、結局は「中国問題」なのだ、ということを改めて思う。
そのほか、マルクス・レーニン主義の理論から資本主義導入を正当化させる奇天烈な論理とか、そのあたりのことが詳しく書いてあり、現在の中国の貪官汚吏の実態が、中国の伝統から必然的に導き出されることなどを冷静かつ論理的に実証している。このあたり、黄文雄の書いていることと実態としては同じなのだが、やはり日本の学者の論証の方がわれわれ日本人にとっては分かりやすく感じてしまうのは仕方がないのかもしれない。
いずれにせよ、『マンガ中国入門』と二冊あわせれば現代中国事情のかなりの部分が理解できるように思う。中国に進出を考える企業関係者はこうした本も一応目を通しておいた方がいいのではないかと思う。