第1回のゲストは池田理代子で、この人がソプラノを歌っているのははじめてみたが、「芸術家の苦しみの上に私たちの鑑賞が成り立っている」という言葉には深く頷かされるものがあった。やはりものを作る人の言葉は違うなと思う。この回に紹介された作品ではK.364協奏交響曲とK.495ホルン協奏曲が印象に残った。
<画像> | モーツァルト:ホルン協奏曲第1番ブラック(ニール) シヴィル(アラン), シヴィル(アラン), アカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ, マリナー(サー・ネヴィル), モーツァルトユニバーサルクラシックこのアイテムの詳細を見る |
第二回のゲストは指揮者井上道義。この人、存在自体がインパクトがある。(彫りが深いと思ったらお父さんはドイツ系アメリカ人なのか。後で知る。)「コシ・ファン・トゥッテ」が話題に上ったが、モーツァルトのオペラは日常性を持ち込んだところが革新的だ、という話が興味深かった。日常的・等身大のことを描きながら芸術的というのはある意味凄いことだと思う。どこで読んだか忘れたが、中国のアニメ事情を取り上げたものの中で、今でもやはり日本アニメの方が人気があり、それはたとえばヒーローものでも小学生や中学生など、身近な人間がそういう能力を得て戦うという、主人公が等身大・日常的であるところに魅力がある、という話を思い出した。考えてみればほかの国のアニメでそういうものはないかもしれない。オペラという最高の舞台に見慣れた庶民が出てきてある意味くだらない恋の鞘当を最高のメロディで歌うという発想は、当時やはり相当衝撃的だったんだろうなあと思った。この回に紹介された5曲のうち3曲は持っていた。
第三回のゲストはジャズピアニスト小曽根真。モーツァルトには無駄な音がない、技術が裸にされる、というのはそうだなあと思う。私もたとえば小説なら、無駄な言葉がない、読み手に緊張を強いるような作品が描けたら最高だなあと思う。「モーツァルトの自信とは、音楽を信頼していく力、魂をすべて音楽に委ねる力」というような表現に当たるともう「生きててよかった」という気持ちになる。「変なエゴがない、神の曲」だというのはなるほどと思うし、小米朝がそれに相槌を打って「惟神(かんながら)」だ、といっていたのもうーん、と思った。音楽の自然な流れに委ねて描き続けるのが楽しくて仕方がない、その自然な流れを見出せるというのがまさに天才ということなのだろうと思うけど。小林秀雄とかが魅かれるのはまあもっともだ。この回に紹介されたものではK.620『魔笛』をぜひ聴いてみたいと思った。断片的にしか見たことも聞いたこともない。
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