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鴻巣友季子「カーヴの本棚」。これは書評だが、ワインに喩えた本の雑談という感じ。鴻巣はクッツェー『恥辱』の訳者でもあり、この癖のある小説をみごとに訳している人はどんな人なのだろうという興味はある。「ワインの質を計るのに信用できる指標がたった一つあるとしたら、それは余韻の長さである」と言うワイン・ジャーナルの記述がなるほどと思わせる。私が今まで飲んだワインで一番印象に残っている、つまりその余韻が今でも口の中で思い出せるワインは10年程前だったか銀座かどこかの道場六三郎の店で飲んだボルドーだった。あれはとんでもなく美味くて、鴻巣が書くように「フラッシュバック」がある。私は舌の記憶はそんなにある方だと思わないが、あれはよく覚えている。シャンパンでは浦安のベイヒルトンで飲んだルイ・ロデレールが一番美味かったが、そこまではよく覚えていない。あのボルドーを思い出すと、シャンパンもきっともっと美味いのがあるに違いないと思う。いったいいつ飲めるのかは見当もつかないが。
話はずれたが、要するに作品をワインに喩えて語っているのである。詩人の荒川洋治に「感動とは忘れ去ることであり、感動をこえて残っていくのが感想だ」という言葉があるらしい。つまりその場で感動し、直ぐ忘れ去られるワインや作品は幾らでもあるが、その後に感想、つまり余韻が残るのがよいものということになる。ちなみに「感想の出ないワイン」について、「そういうのは、娼婦のワインというのよ。余韻もなにもあったもんじゃない」というワイン生産者の言葉を紹介しているが、含蓄がある。娼婦を買ったことがないのでへえそういうものですかとしか言いようがないが。ただ感想の残らないセックスというのはあるのかもしれないなとは思う。少なくとも後味の悪いそれは…止めておこう朝っぱらから。
『文学界』も3月号からずっと買っているが、続けて読んでいるとあまり普段は関心のない作家の連載を読むことで好奇心から読んでみようという気が起こったりもする。雑誌の力というものはやはりあるなあと思う。
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