4.父の蔵書とか父を越えるとか越えないとか(06/15 07:41)


< ページ移動: 1 2 >
5時前に目が覚めてしまったのだが、なんとなく疲れは取れていて、割と情緒的にも安定しているので色々と周りが見える感じがして、少しずつ遠くまで見えるようになってきている感じがありがたいなと思う。やりたいことをやる、というのもいいけれども、面白いことをやる、という方が自分にとって響くところがある感じがあり、また自分にあまり無理をさせずにいろいろとできる感じがする。

なんとなく思い立って10年前に亡くなった父の部屋を少し片付ける気になった。亡くなってから蔵書の山を少しずつ片付けたり書類の山をどうこうしたりはしていたけれども、根本的に手がついてなかったところが多かったので、部屋の隅の方の本棚とかかなり荒れているところを少し手をつけた。

父の蔵書というものはその時その時の彼の関心のあったところを反映しているわけだけれども、マルクス関係のものが多いのは東大受験の際に浪人していた一年間「資本論」を読んでいたという人なので(理Iなのだが)まあそんなものだろうと思うのだけど、70年代後半に渡部昇一の「知的生活の方法」を読んで感動した、と言っていて、その後渡部昇一やその辺の谷沢永一とかそう言ったあたりを読むようになったのかなと思っていたのだが、本棚から「戦後日本思想大系7 保守の思想」(筑摩書房、1968)というのが出てきてちょっとへえっと思った。

筑摩書房
1968



父はマルクスを読んで一時は黒田寛一が革マルを結成する前にやっていた弁証法研究会とかにも参加していたのだけど、60年安保闘争の6月15日、あの樺美智子さんが亡くなった日に国会に突入したデモ隊の中にいて、機動隊の暴力と抵抗する学生たちの有り様を体験し、こんなやり方でいいはずがないと強く心に思った、ということは私が高校生だったか大学生だったかの頃聞いたのだけど、その後川喜田二郎のKJ法の思想や山岸巳代蔵のヤマギシズムの思想に共鳴し、それぞれの運動に関わっていくことになったのだが、それでもその後もいろいろな問題やいろいろな思想について関心を持ち続けていたのだということがわかって、そうだったんだなと思ったところがある。

私は大学生に入るくらいまでは父の影響をかなり強く受けていて、東大に入ったり教員をとりあえずやってみたり、就職に関心がなかったりというあたりは割と父の辿った軌跡をなんとなく真似てしまったところがあるのだが、後半になるとかなり父に反発する部分が強くなってきて、相当批判したりしていたのだけど、父が亡くなって10年経って、歳をとると新しいことを身につけたり理解したりするのが難しくなってくることとか、昔はいくらでも読書に没頭できたのがなかなか集中して読み続ける体力がなくなってきているとか、その当時の父の状況がなんとなく身体的にわかってくるところもあって、そうなるとその頃父が何を考えてこういう本を読んでいたのかとかもなんとなくわかる気がするのだなと思った。

いくつか今でも使えそうな物品を見つけたのでそれは10年ぶりに生かそうと思うのだが、父がやっていたKJ法のラベルに書かれた「「型」と楽しさ」という文字を読んで、ああ同じようなことを考えようとしていたんだなとちょっと共感したりする部分もあった。

父は私よりずっとアクティブで振れ幅の広い人だったので家族としては結構振り回されたのだが、今となっては昔の迷惑に対する憤りもまあ、良くも悪くもそういうことは二度と体験することはないわけで、まあ落ち着いて考えられるわけだが、その行動そのものよりも何を感じてそういうことをしようとしたのだろうか、ということが知れるといいな、と思ったりした。


< ページ移動: 1 2 >
4/5049

コメント投稿
次の記事へ >
< 前の記事へ
一覧へ戻る

Powered by
MT4i v2.21