3974.バカ正直/切腹の文化(10/06 23:59)


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昨日。午前は短篇を一本書く。食事前に父に愉気。昼食後、休憩。別の小説のアイディアをねって書き始める。午後から夜にかけて仕事。最終の特急で上京。時間通りに着。少しテレビを見て、2時ごろ就寝。

今朝は9時過ぎに起床。午前中は新しい作品の続きを書こうとするが、ちょっと頓挫。思ったより難しいというか、ちょっと準備が必要。昼食の前に買い物に行き、ついでに本屋をのぞき雑誌をぱらぱら。悪い知らせが一つあった。てんぷらとかエビフライとか買う。

午後はデスクトップを整理したり。今までXPのデフォルトの背景にしていたのだが、モローのアフロディテに変えてみる。この絵葉書を持っていて、田舎では机の上においてあるのだが、この絵からちょっと発想を得て小説を書いてみようと思ったのだが、思ったより難物だ。展開をリアルにすると、どうしても調べなければいけないことがかなり増える。モローのこととか、本当はもっともっといろいろ調べて知識を溜めておかないといけないなと思う。

8月に書いた作品をワードに打ち込む。手書き原稿で書いたものも、やはりデータ化しておいて、何かの機会に誰かに読んでもらうときにそうしやすいようにしておかなければと思う。過去の自分の作品を読んでいると、いろいろそのとき考えたことなどが浮かんでくる。時に重い。というか、昔の作品と言うのはどうも自分の中の重い部分を題材に書いているなと思う。本当に書きたいのは、そういうものではなくて、もっとある意味さらっとしたものなんだが、でも自分の中の重さは重さとして書いておきたいとも思う。読んでもらう意味があるかどうかは別にして。

文章の書き方、ということについて歩きながら考えていて、「正確にずらす」ということだなと思う。これは野口整体の創始者、野口晴哉師の、指導者が操法に臨む際の心得なのだが、バランスの崩れを正確につかみ、その勢いを取りもどすためにただその崩れだけに焦点を当てるのではなく、より勢いの生まれる方向に「ずらす」、というようなことをどこかで言っていて、そういうことなんだなと思った。小説の書き方で言えばただある問題、ある情景の焦点を当ててそれを正確に描写するだけでなく、そこに「ずらし」を与えることによってダイナミックな表現になり、読むものがその先を読む力が与えられる、ということと通じるものがあるのではないかと思った。今のところ、まだ「正確に書く」、ということで精一杯なところはあるが、もう少し習作を重ねて「正確にずらせる」ようにしていきたいと思う。

考えてみれば、私の表現というのはどれもバカ正直なんだよなぁ。このブログでもそうだけどさ。まあよくこんなバカ正直な表現に付き合っていただけるものだと、いつもありがたいことだと思ってはいるのだけど。だけど無料でなくて、金払ってでも読みたいというものを書くためには、ただバカ正直に書けばいいって物でもない。やはり正確にずらす技術がないとダイナミックにはならないよなぁと思う。

夕方、神保町に出かける。書泉ブックマートでもりもと崇『鳴渡雷神於新全伝』第三集(小池書院、2007)と三田紀房・関達也『銀のアンカー』第三巻(集英社、2007)を買う。その後三省堂と東京堂などをのぞき、東京堂でコロナブックス編集部『日本のかたち』(平凡社、2007)を買った。

帰りは地元の西友でティッシュとウスターソースそのほかを買って帰る。『オーラの泉』と『世界ふしぎ発見』を割りと熱心に見る。

もりもとの作品は、なんというかいつもコメントが難しいのだが、魅力的だ。出てくる女性それぞれに作者の思い入れが感じられていい。専三の妹菊、堂上家の令嬢陶子、民権家の岸田俊子、そして盗賊のお新。はかない女の子から殺しても死なない大女の盗賊まで、結局は女性というものへの作者の思いいれの深さというものだろうか。ただ月刊連載のせいか、新地の廓物を書いていた頃より絵が荒れている感じがする。アシスタントの数が増えているせいもあるかもしれない。


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