3681.モンテーニュと南西フランス/1998年の自分と世界(08/27 15:46)


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昨日。10時過ぎに家を出て帰郷の途に。途路丸の内丸善に立ち寄る。モンテーニュ関係の読みやすいものを読みたいと思い、堀田善衛『ミシェル 城館の人』を探しに行ったのだ。文庫で3巻物で出ていることを確認し、とりあえず上巻だけ購入。集英社文庫で2004年に出ていた。

<画像>ミシェル城館の人〈第1部〉争乱の時代 (集英社文庫)
堀田 善衛
集英社

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東京駅に入ると、中央線が人身事故で運転見合わせとのこと。困ったと思いつついつも行く弁当屋で夏野菜弁当を買う。最初いつもの売り子のお姉さんがいないから残念だと思っていたら、途中で出てきた。久しぶりとご挨拶。中央線が止まっているので仕方なく京浜東北で秋葉原に出る。いつも乗らない線なのでタッチの差で黄色い電車を乗り逃がしてしまった。次の電車は5分後。じりじりして待つ。御茶ノ水につくと、もう中央線は動いていた。しかしいつ次の電車が来るかは分らない。このまま総武線で行こうかと思っていたら、発車ぎりぎりになって中央線がホームに滑り込んできた。ダッシュで乗り換える。新宿まで快調に行って、特急の発車時刻に間に合った。もし黄色い電車のままだったら間に合わなかっただろう。冷や冷やさせられる。

『ミシェル 城館の人』を読む。読み始めてみると、これは小説ではなく伝記だった。しかし、小説家の書く伝記だ。時代背景の説明が微妙に一時代前の感じだ。しかし私の知らないこともときおり挟まれていて、よく研究はされていることは察せられる。読んでいる間に、大学院時代に勉強した近代初頭の南西フランスのことがさまざまに思い起こせられて来て、なんとも言えない感じになってくる。

私が勉強したのは主にフランス革命期のボルドーだが、当然アンシャンレジーム期についても勉強しなくてはならず、またそうなるとアンシャンレジーム期(ほぼブルボン王朝時代と重なると考えていい)の前のルネサンス・ユグノー戦争期のことも関係してくる。ボルドー及びアキテーヌは1453年まではイングランド領だし、南西フランスでスペインに近く、また新教徒の勢力も侮れないものがあるなどこの地域はフランスの中でも独特なものがある。ボルドーの生んだ二人の偉人といえばモンテーニュとモンテスキューなのだが、革命期にはジロンド派の革命家たちを何人も(ジロンドとはガロンヌ川の下流の名であり、ボルドーの属する(革命後の)県の名でもある)輩出してもいる。

モンテーニュの祖先は曽祖父くらいまでしかわかってないらしく、塩魚を扱うような商人からのしあがってブルジョアに、さらには領地貴族へとなりあがっていった一族なのだという。そしてそのモンテーニュ村の城館で、ミシェルは2歳からラテン語のみで教育を受けた(アキテーヌ語やフランス語は召使さえ使うことを禁じられた)のだという。それは教会の支配していた当時のコレージュでの教授に限界を感じた人々が作った新しいコレージュ、コレージュ・ド・ギュイエンヌの教授たちと親交の厚かった父ピエールの教育方針で、当時の最先端知識人エラスムスらの教育論に基づくものだったのだという。

私は16世紀のことはそんなに詳しくないので、1533年に生まれて1592年に死んだ、つまり純粋の16世紀人であるモンテーニュのこともほとんど知らなかったが、歴史背景のことを読んでいると大学院時代の三年間に勉強した分厚い内容が重量感を持って自分に迫ってくるのを感じた。精神的にも肉体的にも限界を超えたために研究を続けることは出来なかったが、さりとてこれだけ勉強したものを放置していて、自分自身が救われるわけもないのだ、ということもまざまざと思い知らされた。やはりあの三年間の勉強は、独学での日々に比べて密度があまりにも濃い。物になるならないはともかく、私はこの分厚いものを放棄してはならないし、放置していてはならないのだと言うことが地鳴りのような運命の宣言として体の底から響いてくる感じがする。


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