私はこの地域の革命史を専攻したのでアンシャン・レジームの成立しつつあるルネサンス期に、もっと縮めて言えば絶対王政の成立過程の中で、ということは当然思想的にも権力の統制が進んでいく時期、また白か黒か、敵か見方かを明言することを強要される宗教戦争の時期に、モンテーニュという自由な思考をする思想家がいたということは興味深い。ラブレーやエラスムスに比べて少し時代が下ることでそうした制約はさらに強くなったはずだから、そういうところにモンテーニュという思想家がいた意味があるのだなと思った。
実はこの文章を書いている途中で秀丸エディタがエラーを起こし、書いている文章が一度パーになってしまったので内容を思い起こしながらかいているのだが、書いているうちに先ほどかいていたことと違う内容になったりして結構困る。正確には思い出せないしおそらくは思い出しても仕方がないのだが、もう一度書くということは実際疲れることだ。
それはともかく、この作品を読んでいると、同じ西洋史の範疇の歴史記述ということもあって、塩野七生の文章と無意識に比較する。堀田の文章を読んでいて思うのは、塩野に比べて遥かに日本国内の西洋史学に目配りをしているということだ。用語的にも西洋史学で一般に使われる定訳をきちんと使っているし、そういう意味でわたしなどには読みやすい。塩野はイタリアの学者の記述はかなり目配りをしていても日本のローマ史家の記述にはほとんど目配りしていない、少なくともそう見えるということで、日本の歴史研究者からはかなり叩かれているのだと思う。塩野はイタリアに住んでいるから、ということも言えなくはないが、堀田も基本的にはスペインに住んでいたわけで、もちろんそれだけではない。『ルネサンスとはなんだったか』であったか、塩野は自分でも書いているけれども、いわゆる歴史学とは違う「歴史」を書きたいという強い志を持っていて、それを実現してきたという経緯があるのだ。しかしそれは当然強い軋轢を生み、塩野自身がイタリアに移住したこともそれとは無縁でないようだ。
堀田の場合はそういうことはないようで、また塩野が歴史そのものを自分の見方で書きたいという強い動機を持っているのに対し、堀田はモンテーニュを描くのが目的で、歴史背景の叙述自体は歴史学から借りてきて対処している、という感じを受ける。そういう意味で、塩野の歴史叙述は良くも悪くも塩野ワールドを作っていて、それが読者に胸のすくような快さを感じさせるのだけれども、堀田のほうは叙述の部分がやや解説書的に感じられる側面もある。このあたり微妙なバランスの問題でどちらが良いと一概には言えないが、女性作家の勇敢さと男性作家の安定感という対比だと考えられなくもない。塩野は用語一つ一つにもかなり踏み込んだ独自の判断をしている部分があるように思うし、それが説得力を持つ部分もある。堀田の記述はもう少し踏み込んだ記述があってもいいのになあとやや不足を感じるのだけれど、それは私が塩野の読者であるからかも知れず、まあそれぞれの判断と描き方の問題だということなのだと思う。
二度目を書き直している途中でもまた秀丸のエラーが出て、今回は慎重に保存しながら書いていたのでたいしたダメージではなかったが、どうやらある『地雷ワード』があって、それを変換するとエラーになってしまうということが分った。以前別の言葉でそういうことがあったのだけど、また新たにそういう言葉が出てきたということで参ったなと思う。